子どもたちのこと2004年エッセイ集より 歳時記

 暑い夏の日の午後、頬に汗を伝わせて子どもが帰って来た。

「かき氷が食べたい。」

の声に、台所の隅からかき氷器を持ち出す。

 白く眩しく削げ落ちてくる氷には、「削り氷」という名がふさわしいと思いながら、手を休めることなく削り続ける。驚くほどに顔を近づけて、嬉しそうに待っている笑顔の期待に応えなければならないから。

 器に山盛りになった「削り氷」に自分で青いシロップをかけて食べ始めた。ひと口ほおばると、その口は真一文字から、みるみる両端が上がっていく。

 ただかき氷器のハンドルを回しただけなのに、その顔を見ていると、親として子どもの幸せのために大きな尽力をした気分になってくる。

 「削り氷」は、清少納言の「枕草子」にも出てくるように、もう千年も前からあった文化らしい。ただ、当時は、今のように一般庶民の食べ物ではなかったと聞いた。

 暑い夏に、子どもの体を心地よく冷やしてあげたいと思うのは、今も昔も変わらない親の願いだろうに。

 暑いと言えば、涼ませてあげたい。

 寒いと言えば、温めてあげたい。

 「お腹が減った。」と言えば、お腹いっぱい食べさせてあげたい。

 親が子に願うのは、そのくらいの幸せを喜ぶ笑顔だけで十分なはず。

 なのについ、もっともっとと、いろんなことを願ってしまうのは、そんな小さな願いが簡単に叶うようになってしまったからなのかな。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

日々のあれこれ

 昨日、洗濯機のフタを開けたら、雪景色だった。

 洗濯物の底から、メモ帳の表紙と半分程残った用紙の束が出てきた。多分、再生紙で、他は見事にこなごな…。

 そしてそれは、息子が仕事中にいつもシャツの胸ポケットに入れて、かなり頼りにしていたものだったらしい。

 息子の部屋から拾い上げたシャツを無造作に洗濯機に放り込んだ手前、責任を感じてひたすら謝った。私が落ち込みながら、紙くずの処理に追われているのを気遣ったのか、自分にも責任の一端があると思ったのか、怒るでもなく責めるでもない反応に少しホッとした。

 網戸の向こうからは、ご近所の声が漏れ聞こえてくる。

 小さな子どもたちがケンカをしている。

 親御さんが叱っている。

 思いどおりにならなくて泣いている…。

「泣いて何とかなるんだったら、おれも泣きたいよ、あんな風に…。」

 大人な対応だなぁと思ったけど、それが本音だよね…。

 ごめんよ〜〜!

 ご近所の声は、なおも続く。

 昔はうちもあんなだったよなぁ。

 子どもが3人もいて、それぞれが個性的だったんだもの。

 ひと休みして、大人だけの家庭というのも穏やかでいいなぁ…。

 午後、娘が孫を連れて遊びにきた。

 よちよちと歩きながら、興味のあるものを手当たり次第に触ろうとする。

 その一挙一動に目を細めたり慌てたりする大人。

 思い通りにさせてもらえないと不満そうな声を上げる孫。

 いつの間にか、賑やかなご近所の仲間入りしている!

 子どものいる生活も、たまにはいいなぁ…。

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 虫採りが大好きな女の子は、やがて3人の子どものお母さんになった。

 虫採りが大好きだったお母さんの子どもたちは、みな虫採りが大好きな子に育った。

 夏が近づくと、子どもたちの血は騒ぎ出す。

 もちろん、お母さんの血も騒いでいるが、何となく照れくさいので、知らん顔をしながらそっとウキウキしている。

 いよいよ夏が来て、子どもたちにせがまれると、

「仕方がないねぇ。」

と言いながら、予め目星を付けておいた場所へと出かけて行く。

 実家に戻っているときだと、水を得た魚。裏山は自分の“庭”だもの!

 幸いにも、幼い頃とほとんど姿が変わっていない裏山は、

「久しぶり、よく来たね。」

と、優しく迎えてくれる。


 図鑑や絵本を参考に環境を整えて、飼ってみたこともある。

 大きな水槽に土を入れ、草を植え…。

 当然、自分が子どもの頃よりも上手くできたし、根気よく世話を続けられたので、産卵させることにも成功した。

 嬉しくて、底土の中に一部分だけ見えている卵を毎日のように眺めていたのは…。

 翌春、冬越しをした土から出てきた小さな小さなキリギリスに歓喜の声を上げたのは…。

 脱皮を繰り返して、少しずつ大きくなっていくたびに、家族のみなに報告していたのは…。

 もちろん、3人の子どもたちのうちの誰かではなかった。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました