はじめに,日々のあれこれ

 子どもの頃の私は、北海道の大自然に包まれながら、家族の愛を一身に受け、好奇心の赴くままに、生きている事を全肯定されて育ちました。

 ひいき目に見ても、可愛らしいとは言えない見た目、さらに負けず嫌いで意地っ張りという、愛されるべき性格でもないのに、三姉妹の末っ子だというだけで、ほとんどの「負」を大目に見てもらいながら、「私は特別な子なんだ」と勘違いしたまま育ちました。

 社会人となり、故郷を離れて仕事をする中で、様々な本を読み、研究者の話を聞いて、そんな私をあらためて肯定してくれる言葉に出会いました。

 「感性は大自然の中で育まれる。」

 「肯定されて育った人間は強い。」

 私の中にある、優しく美しい思い出が、今の自分を作っている一片一片なのだと振り返ったとき、一緒にいてくれた家族や、周りにあった風景への愛しさが、どんどんと溢れて来るのを感じました。

 名もない一人の人間の心を育てた、ささやかな出来事だけれど、誰かに知ってもらいたい。でも、私の幼少期を知っている人に知られるのは恥ずかしい…。そんな葛藤の末に、エッセイという形で書き上げた20篇ほどを、ペンネームを使って自費出版したのは16年前です。

 無名な上に、知人のほとんどに内緒にしているのですから売れるはずもなく、誰に読んでもらうでもなく静かに埋れていく予定でした。

 とは言っても、日常生活を送る中でふと愛しい思い出が蘇ると、頭の中がそればかりになり、ついついエッセイにまとめようとする自分がいます。せっかく思い出したのに、そうしないとまた忘れてしまいそうだと。

 そうやって、誰かに知ってもらいたい出来事は、しんしんと降り積もっていたのでした。

 世の中は大きく変わり、個人が発信できる手段を、複数の中から選べるまでになりました。

 そんな便利なツールを利用して、願いだった「誰かに知ってもらいたい。」を、再び夢見ることができる今に感謝しています。