奇跡のような軌跡

 数年前、娘が「子どもが欲しいと思っているのに、なかなかできない このままだと、お金をかけて妊活するしかない」と嘆いていた

 そんな夏の終わりのある日、私はクローゼットの中の整理をしようと思い立った

 上の棚には、子どもたちが生まれた頃の物 − 母子手帳、へその緒、新生児の手形など − をまとめて入れた箱があった

 いつもは手をつけていなかったが、その日は「聖域なき…」な気分で、蓋を開けた

 その中には、上記の思い出の品に混じって、おはじきが5つほど入っていた

 これは、娘が一歳のときに、少し目を離した隙に飲み込んで、後日オムツ替えのときに発見した物だ 思っていたよりもたくさん…!!

 「娘の体の中を通り抜けて来た物だ」と思うと愛しくなって、念入りに洗って取っておいたのだった

 座右の銘がよぎる

 「今持っている不要な物を手放さなければ、本当に必要なものが入ってくるキャパは生まれない。」(関連 縁切り上手

 「可愛い赤ちゃんになって、また娘の中から出ておいで」

 半信半疑どころじゃないくらい“疑”の比率の高い祈りを込めながら、丁重に処分した

 その年の冬の初めに、娘は「子どもができた 夏にはおばあちゃんになれるよ」と知らせてくれた

 私は、複雑な思いで、それでもクスッと笑った

 だから、あの子たちは、おはじきの生まれ変わり…

 どうりで、キラキラしているばずだ…

写真は、あの日、娘に飲み込まれずに済んだ同形の物たちです

奇跡のような軌跡

 年末になると、「ああ、今年も一年、なんとかやって来られたなぁ」と、感慨にふけってしまいます

 そんなことを毎年やっています

 こちらに来てから20回も…

 納得できない毎日から抜け出そうと決めたきっかけは、何処かから私を呼んでいる気がする声(呼ぶ声)と、たまたま見た縁起の良い夢(色のついた夢)でした

 多くの人は、それを錯覚とか勘違いとか呼ぶのでしょう

 でも、現実的じゃないと諦めるには、私の好奇心は強すぎました

 加えて、あまりにも頑固でした

 失敗にしたくない一心で、無我夢中で走った20年でした

 だって、負けず嫌いなんだもの

 そして、3人の子どもを巻き込んでまで、ここで成し遂げたかったことは、もうそろそろ終わりに近づいているのかもしれません

 ここ半年で書き続けたように、今、その“声”は、北海道から聞こえて来ています

ツルムラサキって、食べられる植物なのですね

奇跡のような軌跡

 「夢のお告げ」というようなものを、そこそこ信じています。

 これまでで一番感謝している夢は、大きなヘビが何匹も、次々に鎌首をもたげて、うねりながらこちらへ這って、近づいて来るというものでした。

 金運が上がるかな…と、喜んだのを覚えています。

 こちらに越そうと決心する前後のことで、不安だらけだった私に、根拠のない自信を与えてくれました。

 その後のことは、以前書いた通りです。(一緒に生きようと)

 思春期を迎えた息子の生活ぶりが荒れて、途方に暮れていた時には、真っ青な海に息子が沈んでいく夢を見ました。

 「危ない」「やめなさい」と必死で訴えている私の言葉も聞かずに、海に浮かんだ真っ白な流氷の上に立った息子は、氷の割れ目から一瞬のうちに沈んでいきました。

 激しく動揺しながらも、私は心のどこかで、きっと自分で這い上がって来ると信じていました。

 粋がって着ていた分厚い服が、次々に脱ぎ捨てられて、青い水面に浮いて来ました。最後にざばぁっと浮び上がった息子の手を掴んで、グイと引き上げ、温かい毛布をかけたところで目が覚めました。

 その日を境に…とはいいませんが、子どもの反抗期ですから、気づくと治まっていました。

 「信じていれば、いずれ…」と、思わせてくれた夢でした。同時に、助けを求められたら、絶対に手を掴もうと決意した夢でもあります。

 人生の節目に見るこうした夢は、決まって色鮮やかで、目が覚めても忘れることなく強く心に残っています。そして、何度も励まされてきました。

 振り返ってみると、私の色つきの夢は「お告げ」や未来予想などではなく、自分の決意を表しているのかなとも思えてきます。

 もうすぐ、2022年を迎えます。一度で良いから、富士山の初夢を見たいものだと思っています。

来春は、遠出ができますように