子どもたちのこと,日々のあれこれたどり着いた視点

 後悔していることがあります

 もう10年も前のことで、今ではすっかり解決しているのに

 長男が、北海道で三年ほど一人暮らしをしていました

 その頃は、他の二人の教育費が重なって、後になって「どうやって乗り切ったんだっけ」と思うくらい、我が家はギリギリの経済状態でした

 長男はこまめな連絡を面倒がるタイプで、それを良いことに、ほとんど連絡を取り合うことなく過ぎていきました

 戻って来たときは、話には聞いていたものの、すっかり痩せ細っていました

 食費を浮かせようと渓流釣りに励む中で、命に関わるようなアクシデントに遭遇したこと

 冬、室内でも零度を下回る休日に、燃料費をかけないために布団にくるまって一日を過ごしたこと

 眩暈がして、病院に行くと「今どき珍しい栄養失調」だと言われたこと

 自由を満喫し、数々のピンチを自分の裁量で乗り切った、武勇伝や笑い話として語りました

 驚いたり、一緒に笑ったりしながら、「せめて、一ヶ月に一度くらいは様子を聞いてあげればよかった」との思いが膨らんでいきました

 今でも、それを思う度に、好物を大量に作ってしまいます

 もう何年も経ち、30代を迎え、腰回りの肉が気になってきているというのに…

 取り返しがつかないここというのは、厄介なものです

 気持ちが囚われて、どうしてもそこから解放されません

 見えている現実を冷静に受け止めることもできなくなってしまいます  まさしく、長男のお腹のように…

 こんな後悔は二度としたくありません

 今しておかなければならないことは、一つです

 年老いた母を一人にしないこと(関連 繋がった空の下で

 今日も、胸の奥がヒリヒリするような後悔を教訓に、「一年半という月日が長すぎませんように」と願っています

 ちなみに、今回の決心を長男に話したら、「お母さんは、そろそろ子離れしなくちゃダメだよ」と言われてしまいました

子どもたちのこと

 「お母さんのことを一番分かっているのは、お姉ちゃんかもしれないけど、おれが一番、お母さんのことを“想って”いるんだよ。」

 長男が、小学校の高学年のある日、私と長女の会話に入ってきて、こう主張しました。

 そのときは、長女と女同士の共感で、「さすが、分かってくれているんだね。」などという会話をしていたと思います。

 そんな姿に、やきもちを妬いたのかもしれません。

 はて…。私は、こんな“大告白”に、何と返したのだったか…。

 とうに成人し、毎日、仕事に明け暮れている長男も、こんなときがあったことなど忘れてしまっているでしょう。

 あの日の健気な“想い”もまた、心の中で、優先順位の下の方に埋もれているに違いありません。

 それでも昨日、雪予報を警戒して、朝、職場まで送り届けてくれました。

「帰りは公共交通機関で…。」と、覚悟していたのに、退勤時間を合わせて、迎えに来てくれました。

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 子どもが三人もいると、頼み事をしやすい子が一人はいるものだ。我が家の場合、それは長男。

 長女のように言葉巧みに逃げる器用さもなく、末の息子のように頼りなくもない。

 そうやって「お願い」を重ねているうちに、いつの間にかいろいろなことを覚えて、「困ったときに頼りになる奴」に育ってくれた。

 中でも特に進んで手伝ってくれるのはカレー作り。

 「堂々と刃物が使えるから。」とは、それらしい理由だが、実はそれだけではない。

 その日も、大きめに切った肉を炒めるとき、さりげないアイコンタクトを取り合いながら長男がガスコンロの前に立った。

 程よく肉に焦げ目がつき、いい匂いが立ち込めた頃に、私はそっと箸を手渡そうとした。いつもの、“つまみ食い”用の…。

 すると、その日は何も言わずに首を横に振り、ニヤッとしながらポケットからつまようじを取り出した。そしてそれで、おそらく炒めながら目星をつけておいたのであろう、中でも大きめの一切れを突き刺し、パクっと頬張った。

 熱さでしばらくあふあふしていたが、そのうちに、その顔はみるみる笑顔になる。私が目で「おいしい?」と合図を送ると、笑顔のまま首を大きく縦に振る。私もまた、この瞬間を毎回楽しみにしているのだ。

 カレーを作るたびに、台所でこんなやり取りがあることを他の二人は知らない。ときには損な役回りを引き受けてもらっている感謝の印として、ささやかな秘密を共有する楽しみがあってもいい。

 それにしても、つまようじ持参とは、要領が良くなったものだ。

 お人好しで「イヤ」と言うのが苦手。

 生きるのに不器用なのではと心配したが、決してそうではないかもしれない。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

頼んだら、張り切って描いてくれました。本の挿し絵になるとは思ってもみなかったことでしょう。そして、今でも知りません…

子どもたちのこと2004年エッセイ集より 歳時記

 暑い夏の日の午後、頬に汗を伝わせて子どもが帰って来た。

「かき氷が食べたい。」

の声に、台所の隅からかき氷器を持ち出す。

 白く眩しく削げ落ちてくる氷には、「削り氷」という名がふさわしいと思いながら、手を休めることなく削り続ける。驚くほどに顔を近づけて、嬉しそうに待っている笑顔の期待に応えなければならないから。

 器に山盛りになった「削り氷」に自分で青いシロップをかけて食べ始めた。ひと口ほおばると、その口は真一文字から、みるみる両端が上がっていく。

 ただかき氷器のハンドルを回しただけなのに、その顔を見ていると、親として子どもの幸せのために大きな尽力をした気分になってくる。

 「削り氷」は、清少納言の「枕草子」にも出てくるように、もう千年も前からあった文化らしい。ただ、当時は、今のように一般庶民の食べ物ではなかったと聞いた。

 暑い夏に、子どもの体を心地よく冷やしてあげたいと思うのは、今も昔も変わらない親の願いだろうに。

 暑いと言えば、涼ませてあげたい。

 寒いと言えば、温めてあげたい。

 「お腹が減った。」と言えば、お腹いっぱい食べさせてあげたい。

 親が子に願うのは、そのくらいの幸せを喜ぶ笑顔だけで十分なはず。

 なのについ、もっともっとと、いろんなことを願ってしまうのは、そんな小さな願いが簡単に叶うようになってしまったからなのかな。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 虫採りが大好きな女の子は、やがて3人の子どものお母さんになった。

 虫採りが大好きだったお母さんの子どもたちは、みな虫採りが大好きな子に育った。

 夏が近づくと、子どもたちの血は騒ぎ出す。

 もちろん、お母さんの血も騒いでいるが、何となく照れくさいので、知らん顔をしながらそっとウキウキしている。

 いよいよ夏が来て、子どもたちにせがまれると、

「仕方がないねぇ。」

と言いながら、予め目星を付けておいた場所へと出かけて行く。

 実家に戻っているときだと、水を得た魚。裏山は自分の“庭”だもの!

 幸いにも、幼い頃とほとんど姿が変わっていない裏山は、

「久しぶり、よく来たね。」

と、優しく迎えてくれる。


 図鑑や絵本を参考に環境を整えて、飼ってみたこともある。

 大きな水槽に土を入れ、草を植え…。

 当然、自分が子どもの頃よりも上手くできたし、根気よく世話を続けられたので、産卵させることにも成功した。

 嬉しくて、底土の中に一部分だけ見えている卵を毎日のように眺めていたのは…。

 翌春、冬越しをした土から出てきた小さな小さなキリギリスに歓喜の声を上げたのは…。

 脱皮を繰り返して、少しずつ大きくなっていくたびに、家族のみなに報告していたのは…。

 もちろん、3人の子どもたちのうちの誰かではなかった。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 末の息子は背伸びをする。

 三つ上の兄と対等に渡り合いたくて。

 並外れた運動神経。アイデアあふれる創作力。当然のことながら、いつも遥か上を行く姿を見上げて、悔し涙を流す。

「全能なる兄」を目標にするあまり、運動面で同学年の友だちよりも優っているのに、決して満足していない。図工の時間に作った「傑作」を持ち帰ったときも、兄の反応が気になってしょうがない。

 そんな兄は、実は机の上での勉強が大の苦手で、「自分には向いていない。」と半ば諦めている。

 弟として、もちろん気づいてるようだが、それは取るに足らないことらしい。


 末の子の背伸びは情報収集にも向けられる。

 新聞や雑誌の広告から、先に新しい情報を見つけて兄に知らせたい。

「おお。」と驚いてもらえると大満足。

 ある日、靴屋のチラシを見ながら、

「見て!200円の靴だ!」

 長男はチラシを覗き込み、

「それは、200円引きだろう。」

 200円分のクーポン券付きのチラシだった。

 間もなくまた、

「あっ、これは2400円引きだ!」

 長男はちらりと目をやり、

「……。」

 もちろん、2400円の靴だった。


 こうして、末の息子の背伸びは今日も続く。

 自分が兄と対等だと、自らが納得できるその日まで。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

 10年後、末っ子は身長だけは兄を追い越しました。

 それでも、気持ちは相変わらず兄を見上げたままです。

 身長の話になると、少しだけ誇らしい表情になり、兄は苦笑いをしています。

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 この春、三人の子どもたちそれぞれにクラス替えがあった。この地に引っ越して来てまだ半年。ここでまた、新たな友だち関係を作り直すのは酷だなと心配していたが、どの子もあっさりと受け入れているところがすごい。

 中でも、中二になった長女。始業式の夕方にすがすがしい顔で帰って来たので、

「クラス替え、どうだった?」ときくと、

「部活で仲良しの五人は、きれいに一組から五組に一人ずつ分かれたの。クラスで一番仲が良かった友だちも隣のクラスなんだよ。」

がっかりする内容を、実にさらりと言った後に、

「でも、平気だよ。このクラスでだって新しく友だちはできるから。今日だって、もう何人かと話して親しくなったもん。」

「部活の友だちと、『せっかく違うクラスになったんだから、同じ委員になって一緒に仕事をしよう。』って相談したんだよ。」

「はぁ…。」と言葉を失っている私に、

「私たち、前向きでしょ。」と、にっこり。

 いつのまにか、こんなにたくましくなっていたのか…。


 いわゆる“転勤族”で、引越し、転校を繰り返して来た。小学校には三校通い、中学校は二校目。その度に、仲良しの友だちに泣く泣く別れを言い、新しい学校では一人でぽつんとしていたことも何度かあったという。

 そんな経験からなのだろう。転校して来た子や、友だちに馴染めずにいる子に、とても優しいと聞いていた。


 幼いうちから、そこまでの“修行”を積んだ者にはとても敵わない。

 たくましさにはかなり自信があった私だが、我が子ながら尊敬してしまった。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました