子どもたちのことたどり着いた視点

 もう、覚悟を決めた!

 お母さんは、もう、こんなことには慣れちゃったよ

 それでも、あんたが、やったことを「やってない」と言わないのが私の救いだから、これからも、そんな嘘だけはつかないで

 それならこの先、100回でも一緒に謝ってあげるよ

 息子が、荒れた中学生活を送っていた頃は、何度も放課後の学校に呼び出されました

 その度に、平謝りし、無言の帰宅

 「もうしない」という、表面上の約束

 虚しい繰り返しは私を悩ませ、途方に暮れる日々でした

 でも、この日の私は違いました

 心が沈むというより、怒り心頭!  出所の分からないエネルギーが噴出しました

 いつもの「お決まりの流れ」を想定している息子に、予想もしなかった言葉で、カウンターパンチを喰らわせてやろうと思ったのでした

 驚くような、戸惑うような息子の表情に、心の中で「ニヤリ」とした私のメンタルは、その瞬間にレベルアップしたのでした

(やや関連 色のついた夢

 娘が、希望していた大学に合格できず、落ち込みながらも「浪人したらお金がかかるかな」とメールをよこしたときには、「そのくらいじゃあ、お母さんはびくともしない」と返しました

 大学を卒業し、就職試験に不合格だったことを知らせてくれたときには「打たれ強い子に産んであるから大丈夫!」と返しました

 その都度、娘は「あのときは心強かった」と振り返ってくれました

 一番元気づけたかったのは、他でもない、私自身なんですけどね

 意外性があって、相手よりもむしろ、言っている本人を奮い立たせる言葉

 チャットGPTさんには、どこまでできるのかな…?

そろそろ咲き始めますね

子どもたちのこと

 娘は、土砂降りの雨を見ながら声を上げて泣いていた

 私は黙って、それを見守っていた

 慰めの言葉も見つからず、抱きしめて誤魔化すこともできず、ただ、泣きたいだけ泣くしかないと思っていた

 それは、末っ子の私が、味わったことのない悲しみだったから

 あれは、私の実家の納屋の軒下

 娘は2歳半

 弟が生まれて、私が退院して、数日後だったか

 “新参者”が、揺るぎないと思っていた自分の居場所に入り込んで、一身に浴びていた周囲の視線を奪っていく

 それを感じ取りながらも、はっきりと認識できずに、不安定に怒ったり泣いたりする日々だった

 周囲の音をかき消すような轟音を立てて降る雨に、思い切り大きな声を出すことを許されたかのように、娘は声を限りに泣き続けた

 もう30年も前になるのか…

 小さな心は、こんな試練をいくつも乗り越えて、“新参者”たちと助け合いながら大きくなった

 今では、頼れる相談相手として、私の知らないことまで話し合っているらしい

 娘の子は、1歳半ほどで弟が産まれて“おねえちゃん”になった

 いつも2人を同じように、時には上の子を優先するように時間を割く娘の心の中には、ずっとあの土砂降りの雨の日が残っているのかな

短期間で育った二十日大根は、柔らかそうでつるピカです

子どもたちのことたどり着いた視点

 娘が高校生だったある日、友だちに頼まれて貸したスポーツウェアを、長い間返してもらえないと怒っていました

 その友だちは私もよく知っていて、何かの事情で忘れているんじゃない?と軽く受け止めていました

 数日後、娘は怒りながら泣いていました

 友だちに「返して」と連絡したら、「そんなことのために、何度もしつこく連絡してこないで!」と逆ギレされたとのことでした

 「もう、返してもらわなくていい」「ついでに、このまま縁を切る」

 身勝手な相手の一面に気づきながら、それと折り合いをつけて付き合ってきたのですから、いい機会だったのかもしれません

 それでも、「どうして、他人から借りたものなのに、返さなくてもいいと思う人がいるのかな」と泣いている娘を元気づけるにはどうしたものかと、必死で考えました

 絞り出した言葉が、

「私は、返さないで平気でいる子の親でなく、返してもらえないで泣いている子の親で良かったよ」

 ハッとしたように顔を上げ、安心したようにうなづいた娘を見て、この時の正解はこれだったのかなと思えました

 娘は、これから大きくなっていく可愛い孫たちに、友だちや関わる相手には、誠意をもって接するんだよと教えていくでしょう

子どもたちのこと導いてくれた歌

 秋分の日が過ぎて、日足がどんどん短くなっていくこの時季に、つい口ずさんでいる歌があります

♫ 今日もせつなく秋の日差しが遠のいてゆく

 桑田佳祐さんの「JOURNEY」です

♫ 寂しくて口ずさむ歌がある  名も知らぬ歌だけど 希望に胸が鳴る

 聞き初めの頃は、桑田さんの振り絞るような声と相まって、なんとも言えない切なさが込み上げ、その出処も分からず戸惑ったものでした

 お母様との別れを歌った曲だと知ったのは、恥ずかしながら、しばらく経ってからでした

♫ 旅立つ身を送る時 帰りくる駅はなぜに見えない

♫ とうに忘れた幼き夢はどうなってもいい  あの人に守られて過ごした時代さ

 このフレーズを口ずさむ時、私はいつも、過去ではなく未来に思いを馳せます

 私を送った後の子どもたちの姿です

 もう既に、それぞれの人生を歩き始めているのですから、心配などすべきではないのですが、なんたって、私はなかなか子離れできない母親です (関連 後悔していること

 夕焼け空に向かって嘆いてばかりいないで、朝日を見るために振り返ってくれるかな…

 私といた時間を過去のこととして、笑いながら話してくれるかな…

 言葉を尽くして乗り越えようとしているこんな歌を、誰か教えてあげてくれないかな…

と、自分の命の儚さを書いてみたものの、私の家系は、90歳超えが当たり前の、長寿を誇っているのも事実…

 「いいかげんにしてくれないかな」と言われないように、賢く歳を重ねようと思います

今年は銀杏が豊作のようです

子どもたちのこと,日々のあれこれたどり着いた視点

 後悔していることがあります

 もう10年も前のことで、今ではすっかり解決しているのに

 長男が、北海道で三年ほど一人暮らしをしていました

 その頃は、他の二人の教育費が重なって、後になって「どうやって乗り切ったんだっけ」と思うくらい、我が家はギリギリの経済状態でした

 長男はこまめな連絡を面倒がるタイプで、それを良いことに、ほとんど連絡を取り合うことなく過ぎていきました

 戻って来たときは、話には聞いていたものの、すっかり痩せ細っていました

 食費を浮かせようと渓流釣りに励む中で、命に関わるようなアクシデントに遭遇したこと

 冬、室内でも零度を下回る休日に、燃料費をかけないために布団にくるまって一日を過ごしたこと

 眩暈がして、病院に行くと「今どき珍しい栄養失調」だと言われたこと

 自由を満喫し、数々のピンチを自分の裁量で乗り切った、武勇伝や笑い話として語りました

 驚いたり、一緒に笑ったりしながら、「せめて、一ヶ月に一度くらいは様子を聞いてあげればよかった」との思いが膨らんでいきました

 今でも、それを思う度に、好物を大量に作ってしまいます

 もう何年も経ち、30代を迎え、腰回りの肉が気になってきているというのに…

 取り返しがつかないここというのは、厄介なものです

 気持ちが囚われて、どうしてもそこから解放されません

 見えている現実を冷静に受け止めることもできなくなってしまいます  まさしく、長男のお腹のように…

 こんな後悔は二度としたくありません

 今しておかなければならないことは、一つです

 年老いた母を一人にしないこと(関連 繋がった空の下で

 今日も、胸の奥がヒリヒリするような後悔を教訓に、「一年半という月日が長すぎませんように」と願っています

 ちなみに、今回の決心を長男に話したら、「お母さんは、そろそろ子離れしなくちゃダメだよ」と言われてしまいました