アルバムを断捨離

 子どもたちが生まれてからのアルバムは五十数冊…というところでしょうか。1冊に200枚くらいの写真が貼ってあるので、一万枚は軽く超えている計算になります。

 十五年足らずでそうなったのですから、カメラマニアというか、よほどの写真好きがいたことは間違いありません。

 その話題は後日ということにして、いよいよ“本題”に立ち向かう時がきました。

 一冊目。

 一歳に満たない長女の可愛らしい姿…。

「こんなの本当に処分できるのかな…。」

 それでも、何とかこの一冊を越えて、これからの一年に弾みをつけなければ!

 かなりの時間を要して、心を鬼にして、200枚の中から選りすぐりの20枚を選び、粘着性が強くなっている台紙から注意深く剥がし取りました。

 落ち着いて見ると、ピンボケの写真や、表情の微妙なものまで律儀に貼ってあったのもあり、取捨選択が苦しいと感じたのは、ほんの一時的なものでした。

 剥がされた“名作”たちは、新しく買った厚手の台紙のアルバムに、年代順に貼ることにしました。重いけれど、大切に残そうと思ったら、やはりこのタイプのアルバムが適任なのだと感じたのは、この作業で写真の保存状態の良さを再確認したからです。

 この分なら、5冊くらいにまとめられるかな。

 単純計算では、“1冊につき20枚前後”を守れば達成できそうな目標です。

 選び終わって、処分に回った写真の貼られたままのアルバムは、一般ゴミに出されるべく、新聞紙で包まれました。そのまま燃やされると思うと申し訳ない気持ちになったので、清めるつもりで塩をひとつまみ入れました。古いものを動かすときに唱えると良いと聞いたことのある、おまじないの言葉まで呟きながら…。

 塩が良かったのか、おまじないが効いたのか、子どもたちに悪いことが起こることもなく、一冊目のアルバムが処分できました。

 この調子なら、来週、二冊目を手がけることができそうだなと、目の前が少し明るくなった気がした日でした。

アルバムを断捨離

 最初に手がけた、一番古いアルバムに貼られていたもののほとんどは、祖父が撮ってくれたモノクロ写真でした。

 私は、小さい頃から、このアルバムが大好きで、写真を撮ってもらうたびに好きな順に貼り替えたりして、気ままに扱っていました。

 表紙も、中の台紙も汚れて、擦り切れているところもありましたが、このアルバムだけは、ばっさりと切り捨てるのが忍びなくて、30cm角の小型アルバムにまとめることにしました。

 お気に入りだった表紙の写真を撮って、1ページ目に貼り、20枚ほどの写真を選んで収めました。

 こんな時代ですから、スマホで撮ってデータとして残すという効率的な方法もあって迷いました。

 でも、私の根本にあるのはアナログ世代の価値観です。ヨレた印画紙とセットになった思い出を、手元に置いておく方を選びました。

 このくらいのサイズなら、いつか本気で終活をしようと思ったときに、何とでもなるでしょう。

 こうして、4~5冊あった1包目は、小型アルバム1冊に変わりました。

 若い頃の“証拠隠滅”も完了して、少し身軽になった気がしました。


 でも、それからが本番でした。

 子どもたちの可愛い写真の大半を切り捨てるというのは、とても勇気のいることに思えたからです。

アルバムを断捨離

 1つ目に開けた包みに入っていたのは、私が子どもの頃の古いものから、子どもたちが生まれる直前までのアルバム4〜5冊でした。

 そこで、私は最初の決断をしました。

 中学生以降の写真は全部捨てよう。

 撮られ慣れていなかった学生時代の私たちはぎこちなく、おまけに使い捨てカメラの画質の悪いこと…。こんなものを律儀にアルバムにまで貼って取っておいた私って…。

 まさしく、この断捨離のテーマである、

「私が突然死んでしまったときに、残された者に迷惑をかけたくない。」

という基準に真っ先に引っ掛かるものでした。

 とりあえず、このまま処分するに相応しい駄作の数々を、恥入りながらひと通り眺めました。

「こんなの遺されたら、苦笑いだろうなぁ…。」

 結婚前後の写真も例外ではありませんでした。

 若い両親が仲良く写っている写真を、センチメンタルな気分で眺めたい子などいないだろうと、さっさと判断して1枚も残さないことに決めました。

 おそらく、子どもたちが一度も見たことのない、そして今後も見る必要がない、いや、見ないで欲しい写真たち…。処分を決めたのが遅すぎたくらいです。

 最初に決めた計画通り、“1週間に1冊ずつ、一般ゴミと一緒に出す”ことを考えると、

「この1ヶ月間は絶対に死ねないな」と、心から思ったのでした。


 引っ越しの慌ただしい中とはいえ、アルバムが古い順にまとめられていて、包に番号が振ってあったのは幸いでした。

「私、偉かった!」と思いました。

 こうして、過去から現在に向かって、大切な瞬間を思い出す旅、不要なものを切り捨てる旅が始まりました。