子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 子どもを叱るのは難しくて、気がつくと私は怒っている。3人の中でも、特に長男は、行動の幼さや物の管理の悪さがきっかけにとなり、さらに、黙って話を聞き続けている神妙さが私の怒りを助長させ、延々と怒られ続けることがしばしばある。

 私は、自分でも呆れるほどの勢いで、理路整然と欠点を並べ立て、

「直してくれなくちゃ困る。」と責める。

 うつむいて黙って聞いていて、時々うなずいている彼は、どっぷりと落ち込み、涙も出ない。「完膚なきまでに打ちのめされている。」とは、こういうことだろう。

 ひと通り言い終わる頃にやっと私も我に返り、長男のしょんぼりした姿に、今度は後悔が始まる。

「しまった、言い過ぎた。」

 このまま彼を突き放すわけにはいかない。どんなときにも分かっておいてもらいたいことがある。ここで、念を押しておかなければ…。

「今、おまえの悪いところをたくさん言ったけど、お母さんが嫌なのは、その悪いところだけだからね。おまえのことはいつだって大好きだから、それは何も心配しなくていいからね。」

 長男の目から、初めて涙がはらはらとこぼれ落ちる。頭をかきなでて謝りながら、

「この子の心に届いたのは、今の言葉だけだったろう。」と思う。


 案の定、その日に指摘した欠点たちは、二、三日影を潜めた後、またすぐに顔を出し始める。

 しかし、こんな私を思いやってくれる優しい気持ちは、いつだって心に留まっていて、事あるごとに助けに出て来てくれる。


 何度指摘しても直らない、長男の“悪い癖”。

 何度息子の涙を見ても、また繰り返してしまう私の“怒り癖”。

 簡単に治らないのも無理はない。「懲りない性分」は、血のせいらしい。

イレギュラーもおもしろい

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 小学生だったある日、長男は親友ともいえる友達とけんかをして帰って来た。我が家の末の次男も含めてサッカーをしていて、その友だちの蹴ったボールが弟の腹に当たり、謝れだのどうのともめたあげくに言い合いになったらしい。

 二人は神妙な面もちで帰って来た。いつもと違う様子に気づいてたずねると、長男が事のいきさつをぽつりぽつりと話し始めた。

 痛さと驚きで泣き出した弟の涙は、お互いに多少のことは大目に見ようと、大らかに付き合ってきた友だちとの仲でも、妥協することを許さなかったようだ。

 帰ってからずっと黙ってうつむいていた末っ子が、我慢していた涙をぽろぽろとこぼし始める。この子なりに、兄に大事な友だちとけんかさせてしまったことを、申し訳なく思っていたのか。

 高学年といえども、小学生男子の関係とは単純なもので、彼らの友情はすぐに復活し、その出来事は間もなく忘れ去られた。

 ただ、友だちよりも兄としての正義を選び、弟をかばった長男の優しさは、みんなの心に刻まれた。


 ふと、ずっと以前にも、こんなきゅんとなる感覚をもったことがあったと思い出してみる。


 あれは、長男がまだ幼稚園に通っていた冬だ。その日は長女が小学校から戻るのが早くて、長男を車で迎えに行くのに珍しく同行した。間もなく、子どもたちが園舎から出て来たので連れ帰ろうとすると、冬の恒例として、戯れの雪合戦が始まった。

 初めのうち、雪玉はただ乱れ飛んでいたが、いつの間にか、男の子の中のリーダーで、当時長男の一番の仲良しだった子の合図により、長男一人が狙われてぶつけられるという形勢になっていた。

 子どもは悪ふざけが過ぎて、そんな残酷なことをすることがある。だが、こんな仕打ちをされる理由に、全く覚えのない長男にはひどくショックな出来事だったろう。

 半べそをかいている長男を車に乗せて帰る途中、それ以上のショックと怒りを隠せない様子だったのは長女だった。

「今まであんなに仲良く遊んでいたのに…。」

「もう、あの子は遊びに来なくてもいい…。」

 家までの5分ほど、独り言のようにつぶやき続けた。

 車を停め、降りて家に向かう。後部座席の長女は降りようとせずに、探し物でもしている様子だった。

「早くおいで。」と声をかけようとして振り返ると、座った身をさらに低く屈めたまま、こっそりと涙を拭っていた。


 きょうだいとは不思議なものだ。普段はけんかばかりして、自分が相手を泣かせるのは平気なくせに、こんな風に、他人に涙を流させられるのは許せない。

 そして、長男のように相手に立ち向かって行くこともあれば、長女のように、何もできなくても、陰でこっそり胸を痛めている。

 どちらにも言えるのは、そのとき同じ痛みを感じているということなのだろう。


「自分には、痛みや悲しみをいつも一緒に担ってくれた仲間がいる。」

 こんなささやかな思い出が、生きていく勇気の一つになりますようにと願っている。

おもしろトマトを発見❗️

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

「なるほどなぁ、と思いましたよ。」

 長男が小学校に上がった春の家庭訪問で、担任になった朗らかな先生はそう言って笑った。


 ひらがなの学習に入ったばかりの国語の時間に、一番最初の「つ」の字を、プリントで練習したときのこと。プリントの前半には「つ」を何度か書く欄があり、後半には「つ」のつく言葉を考えて書くために、三〜四文字分の空マスが連なったものがいくつか並んでいた。

 ほとんどの子どもたちは、「つ」を練習した後、思い思いに後半の課題に取り組んでいたが、ふと見るとうちの息子のプリントは、前半は済んでいるが後半には手がつけられていなかった。

「ここには『つ』のつく言葉を書くんだよ。考えてごらん、『つ』で始まる言葉はないかい?」

 先生がそう話しかけると、

「でも、先生、ぼくは『つ』っていう字は、今教えてもらったから分かるけど、ほかの字はまだ習ってないから分からないよ。」

 平然と、そう言ってのけたというのだ。


 長男の通った幼稚園は、当時では珍しく「勉強の時間」がなかった。それでも同年代の子どもたちは、みなそれぞれにひらがなの読み書きを身につけており、中には漢字を書ける友達さえもいた。なのに、我が息子は全く焦っていなかった。

「字は学校へ行ったら勉強するよ。」

「自分の名前が書けるからいいよ。」

 そう言って、必要最小限のスキルを持って入学したのだった。


 先生は続ける。

「最近は、ほとんどの子どもたちがひらがなをマスターして小学校に上がって来ますから、いつの間にかそれが当たり前みたいになっていましたよ。」

 そして、嬉しいことも言ってくれた。

「覚えていないことは、これから覚えればいいんです。それよりも彼のように、もじもじせずに、自分の状況をはっきりと伝えられることが大切なんです。」

 こんな大らかな先生の下で、長男は伸び伸びと小学校低学年の時代を過ごした。


 それから数年…。引っ越しで環境は変わったが、学校が好きで、友達を作るのが上手なのは相変わらずだ。

 勉強が好きになれないのも相変わらずだが、テストの点数が悪くても、動揺する様子はない。学期末に成績が下がったとしても、さほど大きな問題ではないらしい。

「君には君の良さがあるよ。」

 そう言い続けてくれた人を、きっと今でも信じている。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」より

※加筆しました。