日々のあれこれ母の一世紀

 後悔せずに済んだこと

 それは、一番上の姉との別れでした

 姉のことは、子どもの頃の出来事を以前書いたのにならって、「ねえちゃん」と表記することにします (関連 ねえちゃんが泣いたのは

 最後に一緒に過ごしたのは、2019年の夏でした

 恒例になっていた夏休みの長めの帰省  大きなイベントもなく、ただ一日を過ごして、買い物に行き、私のリクエストの夕食を作ってもらう

 退屈とも思えるそんな日々を過ごしたくて、毎年帰っていたのでした

 ねえちゃんは気難しい性格で、周囲からいつも一歩以上引かれているような存在でした  甥や姪(うちの子どもたちや、すぐ上の姉の子どもたち)をとても可愛がっていたのですが、それも上手く表現しようとしなかったので、子どもなりに、どう接していいのか分からなくて、戸惑っている姿をよく見ました

 かく言う私も、特に若い頃は、そんなねえちゃんを持て余していました  実家に戻っても、ねえちゃんと過ごす時間をあまり作らないように、せっせと遊びに出かけていた頃もありました

 しかし、年を経るとともにお互いに丸くなっていったのか、後の数年間は、上記のように、一緒に過ごす時間を大切に思えるようになっていました

 あの夏

 “明日は私が神奈川へ戻る”という日の夕食は、お寿司をテイクアウトしようという話になりました

 せっかくだから、従姉妹にも声をかけて、みんなで食べに行ってはどうかという母の提案に、ねえちゃんの表情は曇りました

「それなら私は行かないから、出かけて来ていいよ」

 瞬時の決断は、私に委ねられていました

 数日前に、時間が空いたからと、近郊の観光地へドライブに誘ってくれた従姉妹でした  感謝の気持ちはもちろんありましたが、それでも迷うことはありませんでした

「それだったら、ねえちゃんと一緒にご飯を食べたいよ」

 お寿司を一緒に買いに行って、食卓を囲む間、ねえちゃんがいつにも増して優しかったのを覚えています

 ペットボトルからお茶をグラスに注いで、私が飲みかけた缶ビールに向かって、「かんぱーい」と言いながら差し出してくれました

 誰かと比べられたときに、自分が選ばれる

 ねえちゃんは、いつだってそう望んでいたのでしょう

 私はきっと気づいていたのに、目をそらしてばかりで、気づかないふりをしていたのです

 たった一回だったけれど、一瞬の決断を間違えず、大切なものを選び取れたことが、その後の私の救いになりました

 病気の再発を誰にも言わず、余命宣告を受けたことも、自分の胸に納めたまま逝きました

 翌年、2020年の3月のはじめ

 緊急事態宣言が出て、私の仕事も影響を受け、休みが取りやすくなった頃でした

 国内の移動が気遣わしくなる前で、すぐに駆けつけることができました  それ以降は誰もが知っているとおりです

 遠くから私を呼び寄せるのに、そのピンポイントのタイミングを狙ったところも、何だかねえちゃんらしい、粋な計らいに思えてしまうのでした