父の訃報を受けて、私の仕事には数日間の“穴”が空きました
当然、その間、その“穴”を埋めてくれた人がいました
一人分の“穴”とはいえ、侮れないほどの負担がかかるものです
数名で手分けして、自分の仕事と折り合いをつけながら埋めていてくれました
それでも、戻ったときには「大変でしたね」と迎えてくれました
「幸せだなぁ」と感じました
私の「致し方ない」を理解してもらえること
私に「埋めてください」と頼まれた“穴”があること
ここに越したばかりの頃は、“つなぎ”として、派遣のアルバイトをしていました
誠意をもって仕事をして、信頼を勝ち取っても、次は違う現場…ということはザラでした
台風で電車が遅れたせいで、一回きりの現場で「時間を守れない人」の烙印を押されたこともありました
それを見越して、かなり早く家を出たのですが、そんなこちらの事情は、察してさえもらえませんでした
「仕事をすることは、世の中の“穴”を埋めること」と言ったのは、養老孟司先生だったと思います
全く同感ですが、同じ穴でも、塊と塊の隙間に空いた穴でなく、一つの大きな地盤に、運良くできた穴を任されるのが、私には向いているんだなぁとつくづく感じました