削り氷
暑い夏の日の午後、頬に汗を伝わせて子どもが帰って来た。
「かき氷が食べたい。」
の声に、台所の隅からかき氷器を持ち出す。
白く眩しく削げ落ちてくる氷には、「削り氷」という名がふさわしいと思いながら、手を休めることなく削り続ける。驚くほどに顔を近づけて、嬉しそうに待っている笑顔の期待に応えなければならないから。
器に山盛りになった「削り氷」に自分で青いシロップをかけて食べ始めた。ひと口ほおばると、その口は真一文字から、みるみる両端が上がっていく。
ただかき氷器のハンドルを回しただけなのに、その顔を見ていると、親として子どもの幸せのために大きな尽力をした気分になってくる。
「削り氷」は、清少納言の「枕草子」にも出てくるように、もう千年も前からあった文化らしい。ただ、当時は、今のように一般庶民の食べ物ではなかったと聞いた。
暑い夏に、子どもの体を心地よく冷やしてあげたいと思うのは、今も昔も変わらない親の願いだろうに。
暑いと言えば、涼ませてあげたい。
寒いと言えば、温めてあげたい。
「お腹が減った。」と言えば、お腹いっぱい食べさせてあげたい。
親が子に願うのは、そのくらいの幸せを喜ぶ笑顔だけで十分なはず。
なのについ、もっともっとと、いろんなことを願ってしまうのは、そんな小さな願いが簡単に叶うようになってしまったからなのかな。
エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より
*加筆しました