同じ空の下

 父さん、どうする?

 母さんは、父さんの願いをすっかり叶えたけど

 ここ数年の間に、何度か聞かされた、母の思い出話

 嫁いできて間もないある日

 その日の仕事を終えて帰ろうとしたとき、父さんが物置小屋の陰で手招きしていた

 何かと思って行ってみると、突然抱きしめられた

 俺にはもう、お前しかいない

 祖父母がいて、舅も姑もいて、亡くなった前妻の子どもまでいる家

 子育てを手伝ってもらっていた身内まで、あれこれと理由をつけて去っていった

 こんな家に来てくれるのは、きっとお前が最後だ

 俺に不満があるなら、いつだって出ていってもいい

 でも、家族への不満なら、どうか辛抱してほしい

 この言葉を支えに、長い年月を乗り越えてきたという(関連

 四人の年長者を送り終えたときには、とうに還暦を過ぎていた

 一歳から育ててきた姉までも、先に送ることになった( 関連 勝手に使命感

 母さんは、あの日の約束を全部守ったよ

 そんな母さんに、父さんは何をしてあげられるの?

 ちゃっかり、自分まで送ってもらっちゃって…

 母の思い出話は続く

 父さんは、本当に優しかった

 穏やかで、考えが深くて、困った人はみんな父さんに相談に来たんだよ

 みんなが、父さんを立派な人だって言ってくれて、誇らしかった

 父さんをおいて、私が先にいくことにならなくて、本当に良かった

 そうか

 お返しは、ずいぶん前から、少しずつしてあったんだね

2回目の登場 父が大好きだった木です

子どもたちのことたどり着いた視点

 もう、覚悟を決めた!

 お母さんは、もう、こんなことには慣れちゃったよ

 それでも、あんたが、やったことを「やってない」と言わないのが私の救いだから、これからも、そんな嘘だけはつかないで

 それならこの先、100回でも一緒に謝ってあげるよ

 息子が、荒れた中学生活を送っていた頃は、何度も放課後の学校に呼び出されました

 その度に、平謝りし、無言の帰宅

 「もうしない」という、表面上の約束

 虚しい繰り返しは私を悩ませ、途方に暮れる日々でした

 でも、この日の私は違いました

 心が沈むというより、怒り心頭!  出所の分からないエネルギーが噴出しました

 いつもの「お決まりの流れ」を想定している息子に、予想もしなかった言葉で、カウンターパンチを喰らわせてやろうと思ったのでした

 驚くような、戸惑うような息子の表情に、心の中で「ニヤリ」とした私のメンタルは、その瞬間にレベルアップしたのでした

(やや関連 色のついた夢

 娘が、希望していた大学に合格できず、落ち込みながらも「浪人したらお金がかかるかな」とメールをよこしたときには、「そのくらいじゃあ、お母さんはびくともしない」と返しました

 大学を卒業し、就職試験に不合格だったことを知らせてくれたときには「打たれ強い子に産んであるから大丈夫!」と返しました

 その都度、娘は「あのときは心強かった」と振り返ってくれました

 一番元気づけたかったのは、他でもない、私自身なんですけどね

 意外性があって、相手よりもむしろ、言っている本人を奮い立たせる言葉

 チャットGPTさんには、どこまでできるのかな…?

そろそろ咲き始めますね

日々のあれこれたどり着いた視点

 父の訃報を受けて、私の仕事には数日間の“穴”が空きました

 当然、その間、その“穴”を埋めてくれた人がいました

 一人分の“穴”とはいえ、侮れないほどの負担がかかるものです

 数名で手分けして、自分の仕事と折り合いをつけながら埋めていてくれました

 それでも、戻ったときには「大変でしたね」と迎えてくれました

 「幸せだなぁ」と感じました

 私の「致し方ない」を理解してもらえること

 私に「埋めてください」と頼まれた“穴”があること

 ここに越したばかりの頃は、“つなぎ”として、派遣のアルバイトをしていました

 誠意をもって仕事をして、信頼を勝ち取っても、次は違う現場…ということはザラでした

 台風で電車が遅れたせいで、一回きりの現場で「時間を守れない人」の烙印を押されたこともありました

 それを見越して、かなり早く家を出たのですが、そんなこちらの事情は、察してさえもらえませんでした

 「仕事をすることは、世の中の“穴”を埋めること」と言ったのは、養老孟司先生だったと思います

 全く同感ですが、同じ穴でも、塊と塊の隙間に空いた穴でなく、一つの大きな地盤に、運良くできた穴を任されるのが、私には向いているんだなぁとつくづく感じました

水やりが滞ったせいか、今年のアマリリスは、花芽の生長がゆっくりです

同じ空の下

 小さな「ひたち海浜公園」を作りたくて、母にネモフィラの種を送ったのはまだ雪深い頃でした

 庭の縁に石を積んで、土を足して花壇にするのを思いついたのは、昨年の夏、何かに取り憑かれたように生垣を剪定しまくったときでした (関連 繋がった空の下で

 90歳近い母には酷な作業に思えたので、甥っ子や、向こうに行っている息子に頼んで“遠隔操作”で進めようと思っていたのですが、奇しくも、自分の手で、思っていた通りにつくることができました

 自由に動ける時間が限られていたので、少しの時間を見つけては、石を並べて土を起こしました

 出来上がった頃、納棺師さんが到着して、父の納棺の儀が執り行われました

 息を切らせて座っている、土の匂いのする私に、父は苦笑していたかもしれません

 でも、秋の開花まで、母の楽しみになるはずの花です

 父も文句は言わないでしょう

 とても仲のいい夫婦でしたから

子どもたちのこと

 娘は、土砂降りの雨を見ながら声を上げて泣いていた

 私は黙って、それを見守っていた

 慰めの言葉も見つからず、抱きしめて誤魔化すこともできず、ただ、泣きたいだけ泣くしかないと思っていた

 それは、末っ子の私が、味わったことのない悲しみだったから

 あれは、私の実家の納屋の軒下

 娘は2歳半

 弟が生まれて、私が退院して、数日後だったか

 “新参者”が、揺るぎないと思っていた自分の居場所に入り込んで、一身に浴びていた周囲の視線を奪っていく

 それを感じ取りながらも、はっきりと認識できずに、不安定に怒ったり泣いたりする日々だった

 周囲の音をかき消すような轟音を立てて降る雨に、思い切り大きな声を出すことを許されたかのように、娘は声を限りに泣き続けた

 もう30年も前になるのか…

 小さな心は、こんな試練をいくつも乗り越えて、“新参者”たちと助け合いながら大きくなった

 今では、頼れる相談相手として、私の知らないことまで話し合っているらしい

 娘の子は、1歳半ほどで弟が産まれて“おねえちゃん”になった

 いつも2人を同じように、時には上の子を優先するように時間を割く娘の心の中には、ずっとあの土砂降りの雨の日が残っているのかな

短期間で育った二十日大根は、柔らかそうでつるピカです