同じ空の下母の一世紀

 小さな「ひたち海浜公園」を作りたくて、母にネモフィラの種を送ったのはまだ雪深い頃でした

 庭の縁に石を積んで、土を足して花壇にするのを思いついたのは、昨年の夏、何かに取り憑かれたように生垣を剪定しまくったときでした (関連 繋がった空の下で

 90歳近い母には酷な作業に思えたので、甥っ子や、向こうに行っている息子に頼んで“遠隔操作”で進めようと思っていたのですが、奇しくも、自分の手で、思っていた通りにつくることができました

 自由に動ける時間が限られていたので、少しの時間を見つけては、石を並べて土を起こしました

 出来上がった頃、納棺師さんが到着して、父の納棺の儀が執り行われました

 息を切らせて座っている、土の匂いのする私に、父は苦笑していたかもしれません

 でも、秋の開花まで、母の楽しみになるはずの花です

 父も文句は言わないでしょう

 とても仲のいい夫婦でしたから

子どもたちのこと

 娘は、土砂降りの雨を見ながら声を上げて泣いていた

 私は黙って、それを見守っていた

 慰めの言葉も見つからず、抱きしめて誤魔化すこともできず、ただ、泣きたいだけ泣くしかないと思っていた

 それは、末っ子の私が、味わったことのない悲しみだったから

 あれは、私の実家の納屋の軒下

 娘は2歳半

 弟が生まれて、私が退院して、数日後だったか

 “新参者”が、揺るぎないと思っていた自分の居場所に入り込んで、一身に浴びていた周囲の視線を奪っていく

 それを感じ取りながらも、はっきりと認識できずに、不安定に怒ったり泣いたりする日々だった

 周囲の音をかき消すような轟音を立てて降る雨に、思い切り大きな声を出すことを許されたかのように、娘は声を限りに泣き続けた

 もう30年も前になるのか…

 小さな心は、こんな試練をいくつも乗り越えて、“新参者”たちと助け合いながら大きくなった

 今では、頼れる相談相手として、私の知らないことまで話し合っているらしい

 娘の子は、1歳半ほどで弟が産まれて“おねえちゃん”になった

 いつも2人を同じように、時には上の子を優先するように時間を割く娘の心の中には、ずっとあの土砂降りの雨の日が残っているのかな

短期間で育った二十日大根は、柔らかそうでつるピカです

日々のあれこれ導いてくれた歌

 セカイノオワリのFUKASEさんが、冷ややかに、嘲るようにこちらを見つめながら語りかけてきます

 −♪ 君に君を分類する能力なんてない −

 痛いところを突いてくる…

 実は、物ごとを分類するのが好きです

 仕事に関しても、資料はファイルに、内容は脳内で、さっさと分類して必要なときにすぐに取り出せるのが、究極の時短だと思っています

 このサイトを育てながら、毎回、文章を上のメニューでカテゴリー毎に分けるのが、楽しみの一つになっていると気づきました

 タグを使って、カテゴリーを超えてグループ分けが出来たときには、心の中でウェーブが巻き起こりました

 レベルが低くてすみません

 そう考えると、私は分類するのが好きな人間…

 でも、曖昧にしておきたい事は、いくらでもある…

 こうと決めたら、貫かなくちゃ気が済まない性格

 でも、「退くも勇気」というアシタカの言葉に感銘を受けている(映画 もののけ姫 より)

 やっぱ、人間を分類するなんて不可能…

春は、この風景も楽しみです