このタイトルを見て、星新一さんの名前や、「メロンライスにガムライス」というフレーズが思い浮かんだ方は同志ですね
でも、ごめんなさい
これは、私自身の「おのぞみの結末」に、一人「しめしめ…」と、思っている話です
その思いは、あの電話が鳴った日( 電話が鳴って )に私の中で確固たるものになりました
私が望んでいたのは、自分の両親と過ごす老後
長男だった元の夫の両親ではなく
あの日から、私は動いて、間合いを測りながら遠ざかって、切って、頃合いを見ながら周知させて…
ちょうどいいタイミングで訪れた荷物を下ろした日に、私にはこの「おのぞみの結末」が用意されていることを確信しました
誰かの心に大きなダメージを与えることなく、ここまでのお膳立てをした自分の調整能力と運は賞賛ものでした
そのときまで、一か月を切りました
今描いている理想のように、ほのぼのとした安楽なものではないかもしれません
でも、自分が弱く未熟だったときに支えてもらった思い出を掘り起こしながら、母と一緒に過ごせる時間を大切にしていきたいと思っています
若い頃から苦労の絶えなかった母について書いてきた文は、どうする?をはじめとした「母の一世紀」というタグでまとめています
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