奇跡のような軌跡,日々のあれこれ

 家の裏にキレイな形の山がある

 キレイっていうのは、カッコいいという意味ではなくて、絵本の挿絵みたいにシンプルな形ってこと

 お椀を伏せたみたいに丸くて、左右対称

 子どもの頃は、ブラキオザウルスみたいな恐竜が伏せっているうちに土に埋まってしまい、まだ眠っている…という物語を想像して楽しんだものだった

 あるとき、その山の名前が「三角山」だと知った

 当然「えっ?」となった

 でも、成長して行動範囲が広がるとその理由が分かった

 真横から見るとこんな形だった!

大雪山の手前の山です

 これを見たほとんどの人が「三角山」と名付けるだろうなぁ

 こんな山が、山間の地で一つ独立してそびえている

 出来すぎのように思えてしまう

 「あれは有史以前のピラミッドだ!」と言うオカルト好きな人もいるらしい

 「月は出来すぎの天体だ」という話はよく聞く

 太陽と見かけの大きさが同じくらいだということ

 いつも同じ面を地球に向けていることetc

 そんな記事を読んではワクワクしている私にとって、こんな身近にもあった不思議が気になってしょうがない

 ただ、掘り返すワケにもいかないので、今は、いろいろな角度から眺めては楽しんでいる

奇跡のような軌跡

 このタイトルを見て、星新一さんの名前や、「メロンライスにガムライス」というフレーズが思い浮かんだ方は同志ですね

 でも、ごめんなさい

 これは、私自身の「おのぞみの結末」に、一人「しめしめ…」と、思っている話です

 その思いは、あの電話が鳴った日( 電話が鳴って )に私の中で確固たるものになりました

 私が望んでいたのは、自分の両親と過ごす老後

 長男だった元の夫の両親ではなく

 あの日から、私は動いて、間合いを測りながら遠ざかって、切って、頃合いを見ながら周知させて…

 ちょうどいいタイミングで訪れた荷物を下ろした日に、私にはこの「おのぞみの結末」が用意されていることを確信しました

 誰かの心に大きなダメージを与えることなく、ここまでのお膳立てをした自分の調整能力と運は賞賛ものでした

 そのときまで、一か月を切りました

 今描いている理想のように、ほのぼのとした安楽なものではないかもしれません

 でも、自分が弱く未熟だったときに支えてもらった思い出を掘り起こしながら、母と一緒に過ごせる時間を大切にしていきたいと思っています

 若い頃から苦労の絶えなかった母について書いてきた文は、どうする?をはじめとした「母の一世紀」というタグでまとめています

よろしければ、そちらもお読みください

奇跡のような軌跡

 数年前、娘が「子どもが欲しいと思っているのに、なかなかできない このままだと、お金をかけて妊活するしかない」と嘆いていた

 そんな夏の終わりのある日、私はクローゼットの中の整理をしようと思い立った

 上の棚には、子どもたちが生まれた頃の物 − 母子手帳、へその緒、新生児の手形など − をまとめて入れた箱があった

 いつもは手をつけていなかったが、その日は「聖域なき…」な気分で、蓋を開けた

 その中には、上記の思い出の品に混じって、おはじきが5つほど入っていた

 これは、娘が一歳のときに、少し目を離した隙に飲み込んで、後日オムツ替えのときに発見した物だ 思っていたよりもたくさん…!!

 「娘の体の中を通り抜けて来た物だ」と思うと愛しくなって、念入りに洗って取っておいたのだった

 座右の銘がよぎる

 「今持っている不要な物を手放さなければ、本当に必要なものが入ってくるキャパは生まれない。」(関連 縁切り上手

 「可愛い赤ちゃんになって、また娘の中から出ておいで」

 半信半疑どころじゃないくらい“疑”の比率の高い祈りを込めながら、丁重に処分した

 その年の冬の初めに、娘は「子どもができた 夏にはおばあちゃんになれるよ」と知らせてくれた

 私は、複雑な思いで、それでもクスッと笑った

 だから、あの子たちは、おはじきの生まれ変わり…

 どうりで、キラキラしているばずだ…

写真は、あの日、娘に飲み込まれずに済んだ同形の物たちです