奇跡のような軌跡

 夫の実家を出る決心をしたとき、できるだけ遠くへ行きたいと思いました。

 北海道内には知人が点在していて、触れられたくない部分を話さなければならなくなる状況を作りたくありませんでした。

 誰かを頼って何とかなると思っていませんでした。

 一番頼りになるのは自分だと思っていたので、それを信じて突き進むしかありませんでした。

 三人の子どもたちの一人でも、どちらかの実家に残してくるという考えも、思い浮かんだ次の瞬間に否定しました。

 あったのは「あの時に呼ばれた場所へ行こう。」という衝動(関連 呼ぶ声)と「きっと、なんとかなる。」という根拠のない自信だけでした。


 子どもたちとアニメや映画を観ていて、そんな私にぴったりの言葉に出会いました。

劇場版名探偵コナン−天国へのカウントダウンより

元太くんのセリフ

「母ちゃんが言ってたんだ。米粒一つでも残したらバチが当たるってなぁ!」

忍者ハットリくんTHE MOVIE

香取慎吾さん扮するハットリくんのセリフ

「拙者はそれが掟だから従うのではござらん。拙者が掟に従おうと決めたから従うのでござる。」


 迷ったら後悔しない方を選ぶ。

 自分で決めた事だから、上手くいかなくても他人のせいにしない。

 そう腹を括って、無我夢中でここまできました。


 引っ越しの荷物と一緒に出発する間際に、見送りに来てくれた人たちが門の前に集まる中、居間のテレビの前に一人で座っていた義父の背中を思い出します。

「今までありがとう。出発するね。」と声を掛けると。

「そうか。気をつけて行け。」

「上手く行かなかったら、いつでも戻って来いよ。」

 呟くように、そういいました。

 たとえ上手くいかなくても、もう戻ることはできない。

 そんな決意があったとは言え、心が揺れる言葉でした。

 嬉しかったと伝えることもないままに、義父は世を去ってしまいましたが…。


 これまでの仕事にしても、子育てにしても、決して順調ではありませんでしたし、振り返ると困難の連続でした。

 ただ、そんな中でも与えてもらった言葉や、拾い集めた言葉にたくさんの勇気をもらってきました。

 そしてまた、新しく出会った言葉を根拠のない自信に変えて、明日からの仕事に励んでいくしかありません。

春は散歩中にもあちこちで癒されます

奇跡のような軌跡

ここへ来る前は、北海道の夫の家で、夫の両親と同居していました。

夫は自分が忙しいのが大好きで、国内だの、海外だのを飛び回っていてほとんど家に帰りませんでした。それなのに、帰るときには大量の物を持ち帰り、住んでいる私や子供たちの居住スペースを容赦なく浸食し、また慌ただしくどこかへ出かけて行くのでした。多分、次々にやることがある人、たくさんの物に囲まれて忙しそうにしている人というものに憧れていたのでしょう。

夫が去って行くと、待ってましたとばかりに、居間の隅に積み上げられた物たちを夫の部屋へ押し込みました。その物たちの価値には全く興味がありませんでした。まだ幼くて活動的だった子どもたちにとって、空間があることが大切でした。

後になって「あれはどうした。」「これはどこに行った。」と言われることもありましたが、結局夫自身が管理していたということも多く、把握できない量の物を持つ者が悪いと考えていたので、ためらうことはありませんでした。

ある日、狭くなった通路から夫の部屋に物を運び入れながら、ふと「ここから逃げ出せば、物に脅かされない生活ができるのに…。」との思いが頭をもたげました。でも、子どもたちが生まれてからずっと専業主婦をやってきた私には、あらゆる面で現実的な考えではなかったので、そのときは単なる「願望」として流すしかありませんでした。ただそのとき、遠くから、どこか心地の良い場所から、何かが私を呼んでいる感覚をもったのを、まだはっきりと覚えています。

あれから20年経ちます。

縁や偶然に後押しされながら、私はこの地にたどり着き、あの時思い描いた自分や子どもたちを大切にできる生活、物に振り回されない生活を手に入れました。

物に囲まれることがトラウマになっているのか、妙に不安を感じて断捨離に励む時期もあります。そうするうちに、人間関係の取捨選択でも、勇気をもって決断できるようになりました。

今になって、あの日、私を呼んでいたのは、今の私なのではないかと思っています。
自分では何も考えず、決定もせず、夫の言い分を聞くばかりで、責任も自分にはないと思っていた私。
そんな場所から抜け出して、自分の力で守りたいものを守ろうと。今の私なら、きっとそう言って呼ぶはずです。

それにしても、ここまでの縁や偶然には感謝するしかありません。
これもカテゴリーの一つとして、苦い思い出も振り返りながら、書き残して行こうかと考えています。