呼ぶ声

奇跡のような軌跡

ここへ来る前は、北海道の夫の家で、夫の両親と同居していました。

夫は自分が忙しいのが大好きで、国内だの、海外だのを飛び回っていてほとんど家に帰りませんでした。それなのに、帰るときには大量の物を持ち帰り、住んでいる私や子供たちの居住スペースを容赦なく浸食し、また慌ただしくどこかへ出かけて行くのでした。多分、次々にやることがある人、たくさんの物に囲まれて忙しそうにしている人というものに憧れていたのでしょう。

夫が去って行くと、待ってましたとばかりに、居間の隅に積み上げられた物たちを夫の部屋へ押し込みました。その物たちの価値には全く興味がありませんでした。まだ幼くて活動的だった子どもたちにとって、空間があることが大切でした。

後になって「あれはどうした。」「これはどこに行った。」と言われることもありましたが、結局夫自身が管理していたということも多く、把握できない量の物を持つ者が悪いと考えていたので、ためらうことはありませんでした。

ある日、狭くなった通路から夫の部屋に物を運び入れながら、ふと「ここから逃げ出せば、物に脅かされない生活ができるのに…。」との思いが頭をもたげました。でも、子どもたちが生まれてからずっと専業主婦をやってきた私には、あらゆる面で現実的な考えではなかったので、そのときは単なる「願望」として流すしかありませんでした。ただそのとき、遠くから、どこか心地の良い場所から、何かが私を呼んでいる感覚をもったのを、まだはっきりと覚えています。

あれから20年経ちます。

縁や偶然に後押しされながら、私はこの地にたどり着き、あの時思い描いた自分や子どもたちを大切にできる生活、物に振り回されない生活を手に入れました。

物に囲まれることがトラウマになっているのか、妙に不安を感じて断捨離に励む時期もあります。そうするうちに、人間関係の取捨選択でも、勇気をもって決断できるようになりました。

今になって、あの日、私を呼んでいたのは、今の私なのではないかと思っています。
自分では何も考えず、決定もせず、夫の言い分を聞くばかりで、責任も自分にはないと思っていた私。
そんな場所から抜け出して、自分の力で守りたいものを守ろうと。今の私なら、きっとそう言って呼ぶはずです。

それにしても、ここまでの縁や偶然には感謝するしかありません。
これもカテゴリーの一つとして、苦い思い出も振り返りながら、書き残して行こうかと考えています。

奇跡のような軌跡

Posted by nanaefree