蛇口から出る水を手でじゃぶじゃぶ受けていると、先日訪れた上流のダム湖が目に浮かんだ。
あそこからここまで流れる道を作ってくれた人がいたんだ。
土を掘って、パイプを通してくれた人がいたんだ。
こんなに透明で安全な水が、間違いなく出てくる日本って素晴らしいな。
手に傷があると、沁みて痛かったり絆創膏が濡れるのが気になったりするけど、
こうやって、思いっきりじゃぶじゃぶ受けられるのって気持ちがいいな。
休みの日って、こんな風に気持ちに余裕がもてていいなぁ…。

蛇口から出る水を手でじゃぶじゃぶ受けていると、先日訪れた上流のダム湖が目に浮かんだ。
あそこからここまで流れる道を作ってくれた人がいたんだ。
土を掘って、パイプを通してくれた人がいたんだ。
こんなに透明で安全な水が、間違いなく出てくる日本って素晴らしいな。
手に傷があると、沁みて痛かったり絆創膏が濡れるのが気になったりするけど、
こうやって、思いっきりじゃぶじゃぶ受けられるのって気持ちがいいな。
休みの日って、こんな風に気持ちに余裕がもてていいなぁ…。

5月の下旬に差しかかったある朝。
その日は5時半ちょうどに起き上がった。
それは、40年前に私が生まれた日時だった。
毎日だいたいこのくらいの時刻に起きているのだが、そのときにはいつものような、
「まだ眠い…。あと5分…。」はなく、起き上がってしんみりと、目覚まし時計の針と、その横にデジタル表示されている日付を眺めた。
私は自分の誕生日が好きだ。
梅雨のない北海道で5月下旬の暖かさは、寒く長い冬を越えたご褒美のようで、開放的な夏に向かって行く気配に満ちていた。
ある日、小さかった私は、モンキチョウが2羽戯れて飛んでいるのを見つけて、かぶっていた姉のお下がりの帽子を虫取り網がわりに、振り回しながら追いかけていた。
あぜ道を走り、家からずいぶん離れてしまった頃、家の方から母が私を呼んでいる声が聞こえた。
逃げ去っていくモンキチョウを、うらめしそうに振り返りながら駆け戻った。
うっすらと汗をかいてたどり着いた私に、母は、
「今日は、お前の誕生日だよ。」と、買ったばかりの薄黄色の帽子をかぶせてくれた。つばの広い夏用の帽子だった。
今になっても、誕生日を迎える頃はワクワクする。
植物や虫捕りが好きだった子どもの頃に、気持ちが戻っていく。
何か楽しいことが始まる予感が止まらない。
その中に、自分のいのちを祝福してもらった、ささやかなこの思い出が、淡く彩りを添えてくれているのだろう。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より
*加筆しました
向かいの家では、幼なじみの大きな鯉のぼりがゆうゆうと泳いでいました。
私は家の周りや田んぼのあぜ道を歩き回り、溶け残った雪を割ってふきのとうが顔を出すのを手伝っては、「春の精」気分を味わっていました。
ゴールデンウィークという言葉はその頃からありましたが、土曜日は休みではなかったし、4日も祝日ではなかったので、連休を実感できたことはあまりありませんでした。
家族は田植えの準備で忙しい時季で、出かける予定はないものだと思っていました。
それでも、拘束されない自由な時間がたくさんあるのが嬉しくて、休みの日はこうした“散策”をしたものです。
多分、私はこれを「春探し」と名づけていました。待ち遠しかった春が来たんだと実感したかったのです。
肌寒い空気の中に、わずかでも日差しの温もりを感じ取ろうと、縁台に座ってじっと息を凝らしていたこともありました。
昨今は、この頃に限りなく近いゴールデンウィークを過ごしています。
近所の庭を眺め、公園を散歩して、思わぬ発見を未熟な腕でカメラに納めます。のどかなこの地域では、“同胞”を各所で見かけます。
そこだけ見ていると、実に平和な世の中なのに…。
もうすぐ、実家のある地域から、桜の便りが届くはずです。
