日々のあれこれたどり着いた視点

 子どもたちを三人とも連れてこちらへ来ると決めたことは、周囲には当然、無茶と思われていました。

 中学生と、小学生が二人。

 義務教育中とはいえ、経済的負担は大きいと覚悟しなければなりませんでした。

「昔から、こうと決めたら譲らない子だから。」

という諦めと、

「お前だったら、何とかするんだろうから。」

という両親の信頼に後押しされて、危うげな一歩を踏み出しました。

 そうは言っても、私は「三人の子どもを育てよう。」と決心したわけではないのです。

 あったのは、

「この三人と生きていきたいな。」

「毎日の生活の中に、この三人がいてほしいな。」

という願いだけでした。

「育てる」「育て上げる」なんて立派なことはできそうになかったけれど、いつも一緒にいてお互いを支え合えたら、どんなに心強いだろうと思えたのです。

 幸い、私が就いた仕事は、四人で生活するのに十分な収入になりました。贅沢はできませんが、毎日のおやつや夕食後のアイスクリームを楽しみにできるような生活は保証してあげられました。

 今は、巣立った者、手元に残っている者と様々です。

 みんな、自分の意思で身の振り方を決めて、生活する場所を選びました。

 離れて暮らす者もそうでない者も、苦しいとき、不安なときを、身を寄せ合って乗り切った大切な仲間として、いつでも幸せを願っています。

日々のあれこれたどり着いた視点

 孫がもうすぐ一歳になります。

 娘が毎日のように写真や動画を送ってくれるので、日々の成長をほとんど見逃すことなく、目を細めて見守ってきました。

 娘が生まれた頃は、セクハラやマタハラなんて言葉はもちろん、そんな態度には問題があるという意識も浸透していませんでした。

 職場に産休を申し出るのも、一年間の育休を希望するのも、罪を告白してでもいるかのように後ろめたかったものです。

 育休中に二人目を考えていることが話題になったときには、明らかに歓迎していない様子で、嫌味を言われました。

 それから30年経った今はどうでしょう。

 あのとき嫌味を言った上司も、気遣わしかった同僚も、どこで何をしているのか知りません。お互いの幸せを願う必要も、当然ありません。

 一方、あのとき生まれてきた無力だった娘は、ずっと私に寄り添い続けてくれました。

 よき理解者として、頼りにすることもあります。

 毎日の張り合いになるような、可愛らしい姿を届けてくれます。

 意識の改革が進んでいる今でも、女性にとって出産や育児のリスクは大きくて、周囲の理解が得られず辛い思いをしている人が多いと聞きます。

 でも、これから生まれてくるのはただの無力な新生児ではありません。自分の人生に彩りをくれる、可能性の種です。

 自分の人生にとって、隣の席から飛んできたコショウの粉くらいの影響しか及ぼさない「誰か」にとっての不都合などに、気を遣う必要はないのです。

 何十年か先の自分の人生に、どんなメンバーがいたら楽しいかな…、幸せかな…、と考えてみてください。

 100年にも満たない人生の中で、今、いちばん大切にしなければならないものが見えてくるはずです。

子どもたちのこと2004年エッセイ集より 歳時記

 暑い夏の日の午後、頬に汗を伝わせて子どもが帰って来た。

「かき氷が食べたい。」

の声に、台所の隅からかき氷器を持ち出す。

 白く眩しく削げ落ちてくる氷には、「削り氷」という名がふさわしいと思いながら、手を休めることなく削り続ける。驚くほどに顔を近づけて、嬉しそうに待っている笑顔の期待に応えなければならないから。

 器に山盛りになった「削り氷」に自分で青いシロップをかけて食べ始めた。ひと口ほおばると、その口は真一文字から、みるみる両端が上がっていく。

 ただかき氷器のハンドルを回しただけなのに、その顔を見ていると、親として子どもの幸せのために大きな尽力をした気分になってくる。

 「削り氷」は、清少納言の「枕草子」にも出てくるように、もう千年も前からあった文化らしい。ただ、当時は、今のように一般庶民の食べ物ではなかったと聞いた。

 暑い夏に、子どもの体を心地よく冷やしてあげたいと思うのは、今も昔も変わらない親の願いだろうに。

 暑いと言えば、涼ませてあげたい。

 寒いと言えば、温めてあげたい。

 「お腹が減った。」と言えば、お腹いっぱい食べさせてあげたい。

 親が子に願うのは、そのくらいの幸せを喜ぶ笑顔だけで十分なはず。

 なのについ、もっともっとと、いろんなことを願ってしまうのは、そんな小さな願いが簡単に叶うようになってしまったからなのかな。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました