日々のあれこれたどり着いた視点

 とても疲れる会議があります。

 話し合っても議論が進まず、ときに話題がそれてしまう。最後には時間切れで終了するしかなく、時間をかけた割には、結論が曖昧なままで、共通理解はできたのか…。

 参加者がみな経験の多い大人なのに、こんな結果が続いたときには、会議に無駄な時間を裂かれるストレスにいたたまれない気持ちになります。


 話し合いが長くなると、内容もさることながら、話し手の心理に関心が向いてしまいます。誰も口を挟む余地がないほどに、一方的に自分の考えを話し続ける人がいると、非常識ながら退屈になり、意識が話の内容以外に向かってしまうのです。

 この人は、自分のために話しているんだ。聞いている相手の反応を見ていないから、途中で意見を言いたい人、理解できずにいる人の表情に気づいていない。自分の意見の正しさをあらゆる方面から説明しようとするので、どうしても話が長くなる。

 話したという事実を作るために話して、後日、いざというときに言うのです。

「あのとき、話しました。」


 もちろん、相手のため、聞き手のために話す人もいます。

 自分が話しているときにも、参加者のリアクションをきちんと見ていて、質問がありそうだとか、理解が滞っていると感じると、話を途切らせて話の主導を相手に移すということをしてくれます。

 そうして得られた結論は、当然、共通理解がなされ、その後に支障をきたすことが圧倒的に少ないのです。


 かく言う私は、ついつい話が長くなりがちで、「簡潔に」とか、「枝葉を省いて」などと自分に言い聞かせ、戒めている毎日です。理想とする姿は見えているものの、そこに近づくには、まだまだ長い道のりだと途方に暮れてしまいます。

 当然、然るべき相手に向かって「あなたの話は長いので…。」などと指摘する勇気もありません。

 ただ、こんな風に、意識の中で分類できるようになったことで、話し合いが堂々めぐりになったときにも、憤りを感じるばかりでなく、自分のあり方を見つめ直すゆとりがもてるようになりました。

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 小学生だったある日、長男は親友ともいえる友達とけんかをして帰って来た。我が家の末の次男も含めてサッカーをしていて、その友だちの蹴ったボールが弟の腹に当たり、謝れだのどうのともめたあげくに言い合いになったらしい。

 二人は神妙な面もちで帰って来た。いつもと違う様子に気づいてたずねると、長男が事のいきさつをぽつりぽつりと話し始めた。

 痛さと驚きで泣き出した弟の涙は、お互いに多少のことは大目に見ようと、大らかに付き合ってきた友だちとの仲でも、妥協することを許さなかったようだ。

 帰ってからずっと黙ってうつむいていた末っ子が、我慢していた涙をぽろぽろとこぼし始める。この子なりに、兄に大事な友だちとけんかさせてしまったことを、申し訳なく思っていたのか。

 高学年といえども、小学生男子の関係とは単純なもので、彼らの友情はすぐに復活し、その出来事は間もなく忘れ去られた。

 ただ、友だちよりも兄としての正義を選び、弟をかばった長男の優しさは、みんなの心に刻まれた。


 ふと、ずっと以前にも、こんなきゅんとなる感覚をもったことがあったと思い出してみる。


 あれは、長男がまだ幼稚園に通っていた冬だ。その日は長女が小学校から戻るのが早くて、長男を車で迎えに行くのに珍しく同行した。間もなく、子どもたちが園舎から出て来たので連れ帰ろうとすると、冬の恒例として、戯れの雪合戦が始まった。

 初めのうち、雪玉はただ乱れ飛んでいたが、いつの間にか、男の子の中のリーダーで、当時長男の一番の仲良しだった子の合図により、長男一人が狙われてぶつけられるという形勢になっていた。

 子どもは悪ふざけが過ぎて、そんな残酷なことをすることがある。だが、こんな仕打ちをされる理由に、全く覚えのない長男にはひどくショックな出来事だったろう。

 半べそをかいている長男を車に乗せて帰る途中、それ以上のショックと怒りを隠せない様子だったのは長女だった。

「今まであんなに仲良く遊んでいたのに…。」

「もう、あの子は遊びに来なくてもいい…。」

 家までの5分ほど、独り言のようにつぶやき続けた。

 車を停め、降りて家に向かう。後部座席の長女は降りようとせずに、探し物でもしている様子だった。

「早くおいで。」と声をかけようとして振り返ると、座った身をさらに低く屈めたまま、こっそりと涙を拭っていた。


 きょうだいとは不思議なものだ。普段はけんかばかりして、自分が相手を泣かせるのは平気なくせに、こんな風に、他人に涙を流させられるのは許せない。

 そして、長男のように相手に立ち向かって行くこともあれば、長女のように、何もできなくても、陰でこっそり胸を痛めている。

 どちらにも言えるのは、そのとき同じ痛みを感じているということなのだろう。


「自分には、痛みや悲しみをいつも一緒に担ってくれた仲間がいる。」

 こんなささやかな思い出が、生きていく勇気の一つになりますようにと願っている。

おもしろトマトを発見❗️

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

「なるほどなぁ、と思いましたよ。」

 長男が小学校に上がった春の家庭訪問で、担任になった朗らかな先生はそう言って笑った。


 ひらがなの学習に入ったばかりの国語の時間に、一番最初の「つ」の字を、プリントで練習したときのこと。プリントの前半には「つ」を何度か書く欄があり、後半には「つ」のつく言葉を考えて書くために、三〜四文字分の空マスが連なったものがいくつか並んでいた。

 ほとんどの子どもたちは、「つ」を練習した後、思い思いに後半の課題に取り組んでいたが、ふと見るとうちの息子のプリントは、前半は済んでいるが後半には手がつけられていなかった。

「ここには『つ』のつく言葉を書くんだよ。考えてごらん、『つ』で始まる言葉はないかい?」

 先生がそう話しかけると、

「でも、先生、ぼくは『つ』っていう字は、今教えてもらったから分かるけど、ほかの字はまだ習ってないから分からないよ。」

 平然と、そう言ってのけたというのだ。


 長男の通った幼稚園は、当時では珍しく「勉強の時間」がなかった。それでも同年代の子どもたちは、みなそれぞれにひらがなの読み書きを身につけており、中には漢字を書ける友達さえもいた。なのに、我が息子は全く焦っていなかった。

「字は学校へ行ったら勉強するよ。」

「自分の名前が書けるからいいよ。」

 そう言って、必要最小限のスキルを持って入学したのだった。


 先生は続ける。

「最近は、ほとんどの子どもたちがひらがなをマスターして小学校に上がって来ますから、いつの間にかそれが当たり前みたいになっていましたよ。」

 そして、嬉しいことも言ってくれた。

「覚えていないことは、これから覚えればいいんです。それよりも彼のように、もじもじせずに、自分の状況をはっきりと伝えられることが大切なんです。」

 こんな大らかな先生の下で、長男は伸び伸びと小学校低学年の時代を過ごした。


 それから数年…。引っ越しで環境は変わったが、学校が好きで、友達を作るのが上手なのは相変わらずだ。

 勉強が好きになれないのも相変わらずだが、テストの点数が悪くても、動揺する様子はない。学期末に成績が下がったとしても、さほど大きな問題ではないらしい。

「君には君の良さがあるよ。」

 そう言い続けてくれた人を、きっと今でも信じている。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」より

※加筆しました。