日々のあれこれ導いてくれた歌

 セカイノオワリのFUKASEさんが、冷ややかに、嘲るようにこちらを見つめながら語りかけてきます

 −♪ 君に君を分類する能力なんてない −

 痛いところを突いてくる…

 実は、物ごとを分類するのが好きです

 仕事に関しても、資料はファイルに、内容は脳内で、さっさと分類して必要なときにすぐに取り出せるのが、究極の時短だと思っています

 このサイトを育てながら、毎回、文章を上のメニューでカテゴリー毎に分けるのが、楽しみの一つになっていると気づきました

 タグを使って、カテゴリーを超えてグループ分けが出来たときには、心の中でウェーブが巻き起こりました

 レベルが低くてすみません

 そう考えると、私は分類するのが好きな人間…

 でも、曖昧にしておきたい事は、いくらでもある…

 こうと決めたら、貫かなくちゃ気が済まない性格

 でも、「退くも勇気」というアシタカの言葉に感銘を受けている(映画 もののけ姫 より)

 やっぱ、人間を分類するなんて不可能…

春は、この風景も楽しみです

日々のあれこれ導いてくれた歌

♫ 訪れるべき時が来た もしその時は 悲しまないでダーリン

 昨年の夏、テレビのCMでこの曲が流れた時、体の中で何らかの堰が切れて、溜まっていた思いが一気に溢れ出すのを感じました

 敢えて紹介するまでもない、Official髭男dismさんの、「アポトーシス」です

 我が子たちほど世代の離れた彼らを、何年か前から尊敬すら感じながら見守って来ていました

 言葉にも音楽にも秀でた天才って、いるんだな…  そう感じさせてくれる曲を、幾つも世に送り出しています

 この曲に心を揺さぶられた人はきっと多かったでしょう

 でも、そこまで大きく取り上げられることなく、静かにブームが去っていったような気がします

 理由は多分、「あまりにも、身につまされる」から

 突然の別れに怯えながら、「でも自分は大丈夫」と思いたい

 そんな毎日の中、現実を突きつけてくるこの曲を受け止めるには、大変な勇気が必要のように思われました

♫ 別れの時など 目の端にも映らないように そう言い聞かすように

 そのときからこの曲は、事あるごとに私の頭の中で再生され、一つの決心へと導いてくれました (関連 繋がった空の下で

 確実に訪れる別れなら、後悔しないように、今できることをするのがいいよ

 そう、背中を押してくれました

♫ 別れの時まで ひと時だって 愛しそびれぬように

 ただ一つ残念なのは、こんな素晴らしい曲に対してさえ、とてもいいところで

「使ったコップは片づけなさい」

と、つい指摘している、口うるさいお母さんがここにいることです

今年のキンセイマルは花盛りです

子どもたちのこと導いてくれた歌

 秋分の日が過ぎて、日足がどんどん短くなっていくこの時季に、つい口ずさんでいる歌があります

♫ 今日もせつなく秋の日差しが遠のいてゆく

 桑田佳祐さんの「JOURNEY」です

♫ 寂しくて口ずさむ歌がある  名も知らぬ歌だけど 希望に胸が鳴る

 聞き初めの頃は、桑田さんの振り絞るような声と相まって、なんとも言えない切なさが込み上げ、その出処も分からず戸惑ったものでした

 お母様との別れを歌った曲だと知ったのは、恥ずかしながら、しばらく経ってからでした

♫ 旅立つ身を送る時 帰りくる駅はなぜに見えない

♫ とうに忘れた幼き夢はどうなってもいい  あの人に守られて過ごした時代さ

 このフレーズを口ずさむ時、私はいつも、過去ではなく未来に思いを馳せます

 私を送った後の子どもたちの姿です

 もう既に、それぞれの人生を歩き始めているのですから、心配などすべきではないのですが、なんたって、私はなかなか子離れできない母親です (関連 後悔していること

 夕焼け空に向かって嘆いてばかりいないで、朝日を見るために振り返ってくれるかな…

 私といた時間を過去のこととして、笑いながら話してくれるかな…

 言葉を尽くして乗り越えようとしているこんな歌を、誰か教えてあげてくれないかな…

と、自分の命の儚さを書いてみたものの、私の家系は、90歳超えが当たり前の、長寿を誇っているのも事実…

 「いいかげんにしてくれないかな」と言われないように、賢く歳を重ねようと思います

今年は銀杏が豊作のようです

同じ空の下導いてくれた歌

 「同じ空の下」で検索すると、高橋優さんをはじめ、「名前がかぶってごめんなさい」と謝るしかないレベルで、才能溢れる皆さんの曲や作品が表示されます。

 サイトを立ち上げたのが2019年の秋なので、明らかに便乗した感じになってしまい、さらにごめんなさい。

 立ち上げ当初に、祖父が亡くなったときに打った弔電が、サイト名の由来になったことを書きましたが (関連同じ空の下 )、その元になったイメージをくれたのは、安全地帯の「夢のつづき」という曲でした。

  あの日そろいの帽子は どんな街角にいても

  一つに広がる 空を知っていた

 1980年代のアルバムに入っていた曲だと思いますが、玉置浩二さんの、囁くようにな歌声が心に語りかけます。

 大切な思い出を、あまりにも丁寧に、こんな視点をもって表現できるんだと、心がふるえました。

 この機会にとYouTubeで探したら、色々なバージョンで公開されたものがありました。

 私はやはり、初期のシンプルなものが好きです。

アマリリスです。ひと株から、花芽が二つ出ました。良い春になりそうです。

日々のあれこれたどり着いた視点,導いてくれた歌

「捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ」

 さだまさしさんの、「檸檬」。サビの部分です。

 この歌詞に心を動かされたのは10代の頃で、別れ際に見せる、こんな思い切りの良さに、憧れのようなものを感じました。

 とは言っても、それまで持っていたものを、こんなに大胆に切り捨てられる勇気など、持てるような日が来るとは思えませんでした。

 この春、数年に一度の大きな別れがありました。

 人事異動です。

 今回は、慣れた場所や人と離れ、おそらく、知人が一人もいない場所でのスタートになります。

 名残惜しくても、寂しくても、最後には自分で決定したこと。

 大切に関係を築いてきた人たちの記憶から、お互いのことがだんだん薄まって消えていくのも、それぞれにとって必要なことのように思えます。

 何度か繰り返してきたこうした別れに、ずいぶんたくましくしてもらったんだなぁと感じています。

 感謝の気持ちを込めながら、未練を残すことなく別れを告げようと思います。去り際も、「檸檬」を見習って。

「消え去る時には こうしてあっけなく 静かに堕ちてゆくものよ」

心なしか膨らんできました。
「カポックの花が」のカテゴリーも、そろそろ更新したいものです。