子どもの頃のこと2004年エッセイ集より,母の一世紀

冬になると、母は街の木工場へ勤めに行った。
子どものころには知らされていなかったが、当時は不作が続いたり米の値段が安かったりと、我が家の生活は苦しかったのだという。

母は朝早くに出かけて行き、夕方6時過ぎのバスで帰ってきた。4時になると暗くなる北海道の冬。それまでの時間が寂しくて、学校から帰るのを少しでも遅く、待っている時間を少しでも短く、知らず知らずのうちに、そんなことばかり考えていたような気がする。
家には私を可愛がってくれる家族がいた。姉たちもいて、近所には仲のいい遊び相手もいた。でも、母のいない寂しさは異質なものだった。きっと、姉たちも同じ気持ちだったに違いない。

そんな母の「冬の勤め」が何年か続いたある年。
その日は土曜日だった。その週の月曜日から母が勤めに出ていて、最初の週末だった。帰り道ですぐ上の姉と行き会った。二人で歩いていて、家の近くまで来たときに、私が、
「今日は土曜日だから、おかあちゃんもお昼で帰って来ているかもしれないね。」
と言った。
「そうかもしれない!」
姉は急に走り出した。と、その途端に雪道に足を滑らせて、持っていた習字セットを放り投げるほどの勢いで転んでしまった。あまりにも豪快な転び方だったのが可笑しかったのと、母が待っているかもしれない期待感とで、2人でげらげらと笑いながら上機嫌で家に帰った。
しかし、母は家に戻っておらず、姉の習字セットの中で硯が割れていた。

私たちはこれを笑い話に仕立て上げ、夕方に帰ってきた母に話した。
「硯が割れるくらい慌てて帰って来たのに、おかあちゃんは帰って来ていなくて、踏んだり蹴ったりだったよねー。」
先を争って話す私と姉の言葉を、母は何も言わずに聞いていた。笑ってくれると思っていたのに、母の表情がどこか寂しげだったのを覚えている。

週明けの月曜日、いつものように少し憂鬱な気持ちで家に帰ると母がいた。そして、「木工場へはもう行かない。」と言った。もちろん嬉しかったが、戸惑いも感じた。何かあったのかな…。
あまり話し上手ではない母は、大まかないきさつを話した後で、多分一番の理由をつぶやくように言った。
「少しの金のために、大事なものを放っておきたくないし…。」
心がほっと温かくなり、これからの冬は母がいることを喜んでいいんだと思えた。


「おまえにはなにもしてやれなかったね。」
私が結婚を控えていた頃、口癖のように毎日、母はそう言った。でも、私はそのとき十分すぎるほどの宝物をもたせてもらっていたのだ。何年もかけて少しずつ積み重ねられてきた、人として、親としての温かさを。

そして今、それは私の手から、母が愛して止まない孫たちに注がれている。

子どもの頃のこと2004年エッセイ集より

 窓からハルが家の前の雪をかいているのが見えた。雪は後から後から降っていて、その姿は白く霞んで見えた。

 ハルを見るのは久しぶりのような気がした。そして、とても遠く見えたのは、雪で霞んでいたせいでも、私の家が道から少し奥に建っていたせいでもなかったと思う。


 ハルは私の一つ下の幼なじみ。水田地帯で、隣家が300m離れているのは当たり前の地域で、公道を挟んでほぼ真向かいに位置していた私たちの家は、珍しいほど近いと言えた。

 物心がついたときには、私のそばにはいつもハルがいた。おかげで、小学生の頃の私は、男の子が好みそうな遊びばかりしていた。2人とも好奇心旺盛で、虫採りや釣りが大好きだった。

 2人で“穴場”を見つけたこともあったし、どちらかが新しい情報を入手して来て、一緒に検証しに行ったこともあった。山の中を探検したときの、川の中洲に秘密基地を作ったときの、頼もしい相棒だった。


 私は雪の中を走り出した。今を逃したらまたしばらく会えないような気がしたから。

 何と声をかけようか、走りながら考えたが、何も思いつかないままに、もう公道を越えていた。

 ハルは、私をちらっと見たが、すぐに自分の手元に視線を戻し、手袋もつけず赤くなった手を休めることなく言った。

「おれんちのばあちゃん、死んだんだ。」

 いつもと同じ、淡々とした口調だった。

「うん…。」

 それっきり、私は何も言えなかった。気の利いた励ましの言葉など、言えるはずもなかった。

 親しく付き合っていた私の両親や祖父母でさえも、ただ驚くばかりの突然の死だった。誰にとっても、それを受け入れるのは難しいことだった。ましてや、家族だったなら…。

 誰よりも孫を可愛がった、ハルとその妹にとって自慢の「優しいばあちゃん」だった。

 台風が去った後の川に無謀にも釣りに出かけた私たちを、血相を変えて探しに来てくれたのも彼女だった。


 家の敷地内には車がびっしりと停まっていて、広い家も相当な混雑だったのだろう。そこに居場所がなくなって、外に出て既に雪かきの済んだ道に新たに降る雪をかき続ける。いかにもハルらしかった。その頃はまだ、小学校に上がる前後の年齢だったと思うのに。


 それからしばらく後、私たちはまた元のように遊び始めた。

 発見と発明の中で、けんかもした。野山を駆け回り、夕焼け空を眺めた。原色に色づいた思い出なら数え切れない。

 でも、私がハルを思い出すときには、最初に浮かんで来るのは、あの冬の光景なのだ。

 雪で白く霞んだ風景の中で、ハルの「現実を淡々と受け入れる潔さ」が一層白く、そのまま消えてしまうのではないかとさえ感じた。


 何年も会っていないハルの思い出の中にも、私はいるのだろうか。それは、どの場面なのか、それにはどんな色がついているのか、少しだけ気になる…。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 子どもを叱るのは難しくて、気がつくと私は怒っている。3人の中でも、特に長男は、行動の幼さや物の管理の悪さがきっかけにとなり、さらに、黙って話を聞き続けている神妙さが私の怒りを助長させ、延々と怒られ続けることがしばしばある。

 私は、自分でも呆れるほどの勢いで、理路整然と欠点を並べ立て、

「直してくれなくちゃ困る。」と責める。

 うつむいて黙って聞いていて、時々うなずいている彼は、どっぷりと落ち込み、涙も出ない。「完膚なきまでに打ちのめされている。」とは、こういうことだろう。

 ひと通り言い終わる頃にやっと私も我に返り、長男のしょんぼりした姿に、今度は後悔が始まる。

「しまった、言い過ぎた。」

 このまま彼を突き放すわけにはいかない。どんなときにも分かっておいてもらいたいことがある。ここで、念を押しておかなければ…。

「今、おまえの悪いところをたくさん言ったけど、お母さんが嫌なのは、その悪いところだけだからね。おまえのことはいつだって大好きだから、それは何も心配しなくていいからね。」

 長男の目から、初めて涙がはらはらとこぼれ落ちる。頭をかきなでて謝りながら、

「この子の心に届いたのは、今の言葉だけだったろう。」と思う。


 案の定、その日に指摘した欠点たちは、二、三日影を潜めた後、またすぐに顔を出し始める。

 しかし、こんな私を思いやってくれる優しい気持ちは、いつだって心に留まっていて、事あるごとに助けに出て来てくれる。


 何度指摘しても直らない、長男の“悪い癖”。

 何度息子の涙を見ても、また繰り返してしまう私の“怒り癖”。

 簡単に治らないのも無理はない。「懲りない性分」は、血のせいらしい。

イレギュラーもおもしろい

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました