子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 この春、三人の子どもたちそれぞれにクラス替えがあった。この地に引っ越して来てまだ半年。ここでまた、新たな友だち関係を作り直すのは酷だなと心配していたが、どの子もあっさりと受け入れているところがすごい。

 中でも、中二になった長女。始業式の夕方にすがすがしい顔で帰って来たので、

「クラス替え、どうだった?」ときくと、

「部活で仲良しの五人は、きれいに一組から五組に一人ずつ分かれたの。クラスで一番仲が良かった友だちも隣のクラスなんだよ。」

がっかりする内容を、実にさらりと言った後に、

「でも、平気だよ。このクラスでだって新しく友だちはできるから。今日だって、もう何人かと話して親しくなったもん。」

「部活の友だちと、『せっかく違うクラスになったんだから、同じ委員になって一緒に仕事をしよう。』って相談したんだよ。」

「はぁ…。」と言葉を失っている私に、

「私たち、前向きでしょ。」と、にっこり。

 いつのまにか、こんなにたくましくなっていたのか…。


 いわゆる“転勤族”で、引越し、転校を繰り返して来た。小学校には三校通い、中学校は二校目。その度に、仲良しの友だちに泣く泣く別れを言い、新しい学校では一人でぽつんとしていたことも何度かあったという。

 そんな経験からなのだろう。転校して来た子や、友だちに馴染めずにいる子に、とても優しいと聞いていた。


 幼いうちから、そこまでの“修行”を積んだ者にはとても敵わない。

 たくましさにはかなり自信があった私だが、我が子ながら尊敬してしまった。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 末の息子の手を引いて、近くの駅に向かう。息子はうつむき加減に歩き、ときどき立ち止まって、

「お母さんも一緒に行ってほしかった。」とぐずる。

 私たちはそれぞれ逆の方向行きの電車に乗るのだ。

 都会から外れた小さな駅に、人が行き交う喧騒はなく、近くで踏切の音が鳴り始めると、たった一日だけの予定には不釣り合いなほどに、その響きが旅愁を誘う。物憂げな空気が流れ始める。

 この休日はどうしても家族の予定が合わず、ひとりぼっちになる末の子は、知人の家でみんなの帰りを待つことになった。

 先方は三つ先の駅まで迎えに来てくれている。そのたった三駅分の「冒険」が不安でたまらないのだった。「末に生まれし」子への情けが、これほどまでの甘えっ子を育ててしまった。

 電車は私たちの前をゆっくりと流れ、ちょうど最後尾の扉が目の前に来たときに止まった。息子の背中を押しながら、車掌さんに一言お願いをする。

 目の前の扉が開かれたことで観念したのか、息子は吸い込まれるように乗り込んだ。そして、入り口に一番近いシートに腰をおろすと、不安そうな笑顔をこちらに向けた。

「平気だよ。」と、私が向けた笑顔の合図は、間もなく扉に阻まれて、ごとんという音とともに、静かに電車は動き出した。

 窓の向こうで、息子はまだこちらを見ていたが、遠ざかるにつれ、窓に景色が反射して、あっという間に見えなくなった。

 二人の間で柔らかにまとわりつき合っていた糸がみるみる細くなり、すっと消えた気がして、心細いような、わずかな自由を手にしたような複雑な感覚が残った。


 夜、それぞれの予定を終えてみんなが集まる。

 再び、私の周りに糸たちがふわふわとまとわりつき出す。

 新鮮な気持ちで糸と戯れ合いながら、あの細くなって消えた感覚も忘れないでおこうと、小さく覚悟した。

本文とは関係ありませんが、あまりにもきれいで…

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 子どもの頃、私には速く走れない人の気持ちが分からなかった。頭の中で描くリズムに合わせて手足を動かすだけ。それだけで、他の子を置き去りにして走ることができた。

 運動会では、毎年確実にリレーの選手に選ばれた。周囲からは当然羨ましがられたが、どうしてみんなもそうしないのかと不思議だった。

 長女は小さな頃、走るのが遅かった。運動会のかけっこでは、みんなが走り出してから安心したようにスタートし、そのまま最後まで後ろについて走った。走っている間の、押し合い圧し合いが嫌なのも原因の一つだったのだが、いつもそんな調子で、リレーの選手には縁遠く、私は少しやきもきした。

 その頃、まだ幼かった長男が、あらゆる運動能力を発揮して周囲を驚かせていた。今思えば、長女もそんな自分にもどかしさや悔しさを感じていたのかもしれない。

 そんな長女が小学三年生になった春、

「おかあさん、私ね、運動会のリレーの選手になれた。」

 学校から帰って来るなり、自分でも不思議そうに言った。

「この子もいつかは芽を出すときが来るだろう。」

そう信じて見守っていた私は、

「やっぱり、私の子だ…。」

と、大いに喜んだ。

 でも、それは少し違うのだ。

 この子は、速く走れない子の気持ちを知っている。思うように動かない自分の手足への憤りを知り、速く走れる子に向けられる羨望のまなざしが、決して自分には向けられない悔しさも知っている。

 私のように、羨ましがっている友だちに向かって、

「本気を出せばいいのに…。」

とは言わないだろう。


 まわり道の途中では、誰もが目の前の事しか見えなくて、本人も周りの人間もやきもきするが、一歩抜き出て振り返ると、かけがえのない時間だったと気付く。

「できない」という悔しさと、それと折り合いながら努力する粘り強さ。超えたときに得た自信。そして、人の痛みを思いやる優しさ。

 娘はこの一連の宝物を、幼いうちに一セット手にしたのだった。

 負けず嫌いの私だが、これにおいては長女にかなう気がしないといつも思っている。

ケンとメリーの木は健在です

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました


 そんな長女も、一児の母になり、毎日の子育てを存分に楽しんでいます。

 どんなときも弱者に寄って立つのは、私よりも祖母(私の母)の影響が強いように思います。