日々のあれこれ

 blog開始から2年が過ぎ、投稿は、今回で100本目になりました

 「はじめに」でも書いたように、きっかけは2004年に出したエッセイ集でしたが、それを紹介し終えても、話題はなんとなく見つかって、更新し続けることができました

 年齢が進むとありがちな、周囲やマスコミへの不満もちらほらと増えてきました(汗)

 「これを読んで共感してくれる人がいたら、こっちも読んでほしいな」と思うこともあって、リンクを貼るという小技も覚えました

 これからは、そこそこ気に入っていて、埋もれてしまうのは惜しい作品に再び光を当てることが増えるかもしれません

 自己満足の「秀作」にも、どうかお付き合いください

 100回を記念して(?)イメージ画像を開始当初のものに戻してみました

(覚えたての技術を駆使して、少し手を加えました  下の写真が、本当の当初のものです  あまり変わりませんね…)

同じ空の下母の一世紀

「生きてりゃ、きっと良いことがあるからな」

 父のもとへ、訳あって後妻として入った母に、舅である祖父がそう言ったという

 その日、母は祖父らと一緒に田んぼで農作業をしていた

 長男である伯父は健康上の理由で農家を継げず、代わりに次男である父が継ぐことになったと聞いている

 その伯父が、仕事をしている田んぼに夫妻でやって来て、何やら頼み事を祖父に持ちかけていた

 伯母の服装は、緩やかでスカート丈の長いワンピース  こんなに忙しいときなのに、手伝おうという気はさらさらないと、一目で分かる様子だった

「こんな忙しいときに来るな」

 不機嫌に二人を追い返した後で、祖父が母に言ったのが、冒頭の言葉だった

 あまりにも対照的に、汗と土と埃にまみれて働いている母へ、精一杯の慈しみを込めていたに違いない

「嬉しかったな…」 母は最後に、そうつぶやいた

 祖父らしいなと思う

 ものごとを多角的に見ている人だった

 こんな風に、母はふと思い出したことを話すことが増えた

 夏に帰省する半月ほどの間に、今まで聞いたことのなかった思い出話がぽつりぽつりと出てくる

 それまでの長い間の沈黙を思い、心が揺れる

「生きてりゃ、きっと良いことがあるからな」

 もちろん、良いことはある

 孫やひ孫が遊びに来る

 デジタルアルバムに写真が届き、離れているひ孫の成長も見守ることができる

 それでも、長い沈黙がある

 父は病気のせいで施設に入り、こんな状況下で会えない日が続いている

 血が繋がっておらず、気遣わしいながらも、何だかんだと寄り添いあっていたねえちゃんにも先立たれてしまった

「生きてりゃ、きっと良いことがあるからな」

 大好きだった祖父がそう言ったのなら、それは実現しなければならない

 私の手で (関連 繋がった空の下で

日々のあれこれたどり着いた視点

 最近、しきりに言われる“SDGs”

 資源の再利用を取り上げる内容が目につくが、他にもたくさんある

 あと8年で達成しようとしている目標が17も…!

 「本気?」って、他人事みたいに思ってしまう

 内容を見ると、地球環境の改善を目指すものをはじめとして、世界平和、人権の尊重、経済の発展など

 目新しいものはない

 どこかで見聞きしたような…

 他人様には礼儀正しく  迷惑をかけるな

 いい加減な仕事はするな

 自然に対して謙虚であれ

 言葉で聞いたわけではなかったけど、親や家族の背中がそう言っていた

 日本人の根底にずっとあったこうした価値観に、ひとつひとつ番号をふって、わざわざ一覧表にして

 全世界が、足並み揃えて目標に掲げたのだから、従って行こうと

 そこまでしないと動き出せないくらい、日本人の民度は下がってしまったのか

 不本意に思いながらも、自分の価値観に従って、今日もごみの分別を守っている