アルバムを断捨離

 ロードオブザリングでは、邪悪の象徴だった二つの塔。

 我が家の物入れでは、決して悪ではないけれども、常に頭を悩ます種だった二つの塔。

 130cmくらいのが二つ。重さはきっと100キロ超え。

 しかし、ある日の一大決心と、継続という力が実を結び、ホビットの旅と同様に、約一年で完結の時を迎えることができました。

 (あんなに辛い旅ではありませんでした。ごめんなさい。)

 途中に夏の休暇や正月休みなどの連休もありましたが、ペースは変えませんでした。

 負担を大きくしたくない気持ちもあったのですが、何よりも、拙速に陥りたくありませんでした。なんたって、中身は大切にしたい思い出ばかりなのですから。

 始めた日、完了した日、共に手帳に記録されていました。ホントに丸一年!

 我ながら頑張りました。

 手元に残った「選ばれしもの」たちを見て思います。

 写真というのは、その場にいた者にとっては、それ自体に価値があるというよりも、その瞬間を思い出すための栞なんだな。

 その思い出を愛しいと感じる人が、必要な分だけの栞を持っていればいいんだ。

 一年間の旅は私にそんな教訓も残しました。

 アルバムの断捨離方法は、他にもいろいろあるようです。

 この一連で書いたことは、私が自分の価値観に背かないように考えた一つの方法です。迷っている、悩んでいる方の一助になれば幸いです。

ピピンとメリーを運んだ木みたい

アルバムを断捨離

 そもそも、私が大量の写真整理やアルバムに悩まされる原因となったのは、元夫…。子どもたちの父親でした。

 写真好き、カメラが趣味という人は世の中にたくさんいますが、元夫の場合は別の要素も入っていたように思います。

 誕生日などのイベントや日常の何気ないシーン。全てをガラス越しに見ていました。たとえ、こちらで私が子どもたちに手を焼いていても、困っていても、私の耳には目の前で起こっている騒ぎと少し離れた所からのシャッター音だけが聞こえていました。

 たまに、子どもを散歩に連れ出してもらっても、決まってカメラを携えて行きました。転んで膝から血を流し、泣きながら帰って来た子の後ろから、カメラを大切そうに抱え、不機嫌な表情で戻って来たこともありました。

 ガラスの向こう…。テレビの向こうのように、生々しい息づかいや匂いまでも伝わって来ない、よそよそしい世界の中で、あの人は、子どもたちにとってどんな存在になりたかったのでしょう。

 名誉のために一つ付け加えるなら、写真の腕は確かでした。

 嫌味ばかり言ってもしょうがないと思い、それを褒めると…。

 こうして、アルバムは着々と積み上がっていったのでした。

 恨みがましいことが蘇って苦笑いしたり、手にした写真の懐かしい出来事に思いを馳せたりしているうちに、思い出は凝縮され、いいとこ取りのダイジェストになって、新しい、とっておきの置き場所に重ねられていきました。

「手に余る大荷物」が、「手塩にかけた宝物」へと華麗に転身していく…。そんな感覚でした。

 土日のどちらかの小一時間を一冊の整理に費やし、火曜日に処分するというルーティーンはすんなりと定着し、物入れの中の平らなブロックを積み重ねたような「塔」は、一か月に30cm位ずつ縮んでいったのです。

カラスウリの花を発見!もうすぐ咲きそうでした。
腕がよければ、もっと良いのが撮れたのでしょうが…。

アルバムを断捨離

 子どもたちが生まれてからのアルバムは五十数冊…というところでしょうか。1冊に200枚くらいの写真が貼ってあるので、一万枚は軽く超えている計算になります。

 十五年足らずでそうなったのですから、カメラマニアというか、よほどの写真好きがいたことは間違いありません。

 その話題は後日ということにして、いよいよ“本題”に立ち向かう時がきました。

 一冊目。

 一歳に満たない長女の可愛らしい姿…。

「こんなの本当に処分できるのかな…。」

 それでも、何とかこの一冊を越えて、これからの一年に弾みをつけなければ!

 かなりの時間を要して、心を鬼にして、200枚の中から選りすぐりの20枚を選び、粘着性が強くなっている台紙から注意深く剥がし取りました。

 落ち着いて見ると、ピンボケの写真や、表情の微妙なものまで律儀に貼ってあったのもあり、取捨選択が苦しいと感じたのは、ほんの一時的なものでした。

 剥がされた“名作”たちは、新しく買った厚手の台紙のアルバムに、年代順に貼ることにしました。重いけれど、大切に残そうと思ったら、やはりこのタイプのアルバムが適任なのだと感じたのは、この作業で写真の保存状態の良さを再確認したからです。

 この分なら、5冊くらいにまとめられるかな。

 単純計算では、“1冊につき20枚前後”を守れば達成できそうな目標です。

 選び終わって、処分に回った写真の貼られたままのアルバムは、一般ゴミに出されるべく、新聞紙で包まれました。そのまま燃やされると思うと申し訳ない気持ちになったので、清めるつもりで塩をひとつまみ入れました。古いものを動かすときに唱えると良いと聞いたことのある、おまじないの言葉まで呟きながら…。

 塩が良かったのか、おまじないが効いたのか、子どもたちに悪いことが起こることもなく、一冊目のアルバムが処分できました。

 この調子なら、来週、二冊目を手がけることができそうだなと、目の前が少し明るくなった気がした日でした。

アルバムを断捨離

 最初に手がけた、一番古いアルバムに貼られていたもののほとんどは、祖父が撮ってくれたモノクロ写真でした。

 私は、小さい頃から、このアルバムが大好きで、写真を撮ってもらうたびに好きな順に貼り替えたりして、気ままに扱っていました。

 表紙も、中の台紙も汚れて、擦り切れているところもありましたが、このアルバムだけは、ばっさりと切り捨てるのが忍びなくて、30cm角の小型アルバムにまとめることにしました。

 お気に入りだった表紙の写真を撮って、1ページ目に貼り、20枚ほどの写真を選んで収めました。

 こんな時代ですから、スマホで撮ってデータとして残すという効率的な方法もあって迷いました。

 でも、私の根本にあるのはアナログ世代の価値観です。ヨレた印画紙とセットになった思い出を、手元に置いておく方を選びました。

 このくらいのサイズなら、いつか本気で終活をしようと思ったときに、何とでもなるでしょう。

 こうして、4~5冊あった1包目は、小型アルバム1冊に変わりました。

 若い頃の“証拠隠滅”も完了して、少し身軽になった気がしました。


 でも、それからが本番でした。

 子どもたちの可愛い写真の大半を切り捨てるというのは、とても勇気のいることに思えたからです。

アルバムを断捨離

 1つ目に開けた包みに入っていたのは、私が子どもの頃の古いものから、子どもたちが生まれる直前までのアルバム4〜5冊でした。

 そこで、私は最初の決断をしました。

 中学生以降の写真は全部捨てよう。

 撮られ慣れていなかった学生時代の私たちはぎこちなく、おまけに使い捨てカメラの画質の悪いこと…。こんなものを律儀にアルバムにまで貼って取っておいた私って…。

 まさしく、この断捨離のテーマである、

「私が突然死んでしまったときに、残された者に迷惑をかけたくない。」

という基準に真っ先に引っ掛かるものでした。

 とりあえず、このまま処分するに相応しい駄作の数々を、恥入りながらひと通り眺めました。

「こんなの遺されたら、苦笑いだろうなぁ…。」

 結婚前後の写真も例外ではありませんでした。

 若い両親が仲良く写っている写真を、センチメンタルな気分で眺めたい子などいないだろうと、さっさと判断して1枚も残さないことに決めました。

 おそらく、子どもたちが一度も見たことのない、そして今後も見る必要がない、いや、見ないで欲しい写真たち…。処分を決めたのが遅すぎたくらいです。

 最初に決めた計画通り、“1週間に1冊ずつ、一般ゴミと一緒に出す”ことを考えると、

「この1ヶ月間は絶対に死ねないな」と、心から思ったのでした。


 引っ越しの慌ただしい中とはいえ、アルバムが古い順にまとめられていて、包に番号が振ってあったのは幸いでした。

「私、偉かった!」と思いました。

 こうして、過去から現在に向かって、大切な瞬間を思い出す旅、不要なものを切り捨てる旅が始まりました。

アルバムを断捨離

 厚手の台紙のアルバムが、60冊!

 写真が200枚くらい貼ってあって、1冊につき約2kg!総重量は…。

 私たちが引っ越しする際に、ひときわ手を焼いた“財産”です。

 それでも、子どもたちの幼い日の可愛らしい仕草、無邪気な笑顔…。大切な瞬間の宝庫を置いてくる気になれず、さらえるように荷造りして持ってきました。

 こちらへ来てからは、物が溢れない生活をしようと決心していました。必要かどうかの判断をする暇もなく、慌てて荷造りして来た物も多かったので、まとまった休みが取れるたびに、押し入れや収納ボックスの断捨離に励みました。

「来たときの引っ越し荷物の重さよりも、確実に今の方が軽くなっているだろうなぁ。」

 満足感に浸りながら居間を見回すとき、必ず心の中に影を落とす物が…。

 そう、物入れの奥に、荷解きもせずに積まれたままになっている100kg以上の大荷物です。

 ときどき思い出しては悩み、方法を考えては、量の多さに圧倒されて諦め…。

 そして、10年経ったある日、

「よし、これから1年かけてやり遂げよう!」

と、決心しました。

 きっかけは覚えていませんが、ふと、

「もしも、私が突然死んだら、残された子どもたちが処分に困るだろうなぁ。」

と思ったのです。

 そう考えたら、処分すべきものはたくさんありましたが、まずは大量の写真とアルバムでしょう。

「1年かけて」というのは、1冊のアルバムから、残しておく“お気に入り”を選び出す時間の確保のためです。処分する前に見納めをして、感慨にふけりたい気持ちもありました。

 一度に大量にやっつけるようなことはしたくなかったので、1週間に1冊ずつ片付けて行くくらいが、気持ちにも体にも無理がないかなと考えたのです。

 無理のないスケジュールといっても、1年間続けるのは根気が要ります。途中で言い訳をしながら、計画が自然消滅することだってあり得ます。

「昔から、こうと決めたら譲らない子。」

 両親の言葉を励みに、まずは1冊目…。

 4冊まとめて包んであった梱包材のガムテープを剥がしました。


 5年ほど前に、この断捨離を敢行しました。その1年間に満足しすぎたために、一つのカテゴリーまで作って語ることにしました。

よろしければ、お付き合いを。