ガラスの向こう

アルバムを断捨離

 そもそも、私が大量の写真整理やアルバムに悩まされる原因となったのは、元夫…。子どもたちの父親でした。

 写真好き、カメラが趣味という人は世の中にたくさんいますが、元夫の場合は別の要素も入っていたように思います。

 誕生日などのイベントや日常の何気ないシーン。全てをガラス越しに見ていました。たとえ、こちらで私が子どもたちに手を焼いていても、困っていても、私の耳には目の前で起こっている騒ぎと少し離れた所からのシャッター音だけが聞こえていました。

 たまに、子どもを散歩に連れ出してもらっても、決まってカメラを携えて行きました。転んで膝から血を流し、泣きながら帰って来た子の後ろから、カメラを大切そうに抱え、不機嫌な表情で戻って来たこともありました。

 ガラスの向こう…。テレビの向こうのように、生々しい息づかいや匂いまでも伝わって来ない、よそよそしい世界の中で、あの人は、子どもたちにとってどんな存在になりたかったのでしょう。

 名誉のために一つ付け加えるなら、写真の腕は確かでした。

 嫌味ばかり言ってもしょうがないと思い、それを褒めると…。

 こうして、アルバムは着々と積み上がっていったのでした。

 恨みがましいことが蘇って苦笑いしたり、手にした写真の懐かしい出来事に思いを馳せたりしているうちに、思い出は凝縮され、いいとこ取りのダイジェストになって、新しい、とっておきの置き場所に重ねられていきました。

「手に余る大荷物」が、「手塩にかけた宝物」へと華麗に転身していく…。そんな感覚でした。

 土日のどちらかの小一時間を一冊の整理に費やし、火曜日に処分するというルーティーンはすんなりと定着し、物入れの中の平らなブロックを積み重ねたような「塔」は、一か月に30cm位ずつ縮んでいったのです。

カラスウリの花を発見!もうすぐ咲きそうでした。
腕がよければ、もっと良いのが撮れたのでしょうが…。

アルバムを断捨離

Posted by nanaefree