たった今、この子に
あらん限りの愛情を注いだら
ひとの痛みを分かる子に育てたら
世界中のみんながそうしたら
40年先には、平和な世界が実現しているかな
私たちが今見ているのは
60年も前に起きた出来事の
しわ寄せなのかもしれない

たった今、この子に
あらん限りの愛情を注いだら
ひとの痛みを分かる子に育てたら
世界中のみんながそうしたら
40年先には、平和な世界が実現しているかな
私たちが今見ているのは
60年も前に起きた出来事の
しわ寄せなのかもしれない
車を運転していて、後ろを走っていた車が脇道に入ったなと思ったら、その道の先で前に割り込んでくる。なんだかムカっとする。目の前で信号が変わって、私だけ止まる羽目になったなら、なおのこと。
時間の余裕は、たっぷりあるのに。
スーパーのレジに並んでいて、店員さんが手間取っているのが見える。小銭を出すのに時間がかかっているお客さんがいる。そうやって、自分の列がなかなか進まないときも、イラッとする。隣の列がどんどん進んでいくのが羨ましいような、悔しいような…。
別に急いでないのに。
そして、隣家のエアコンの排水が、我が家の方へ流れて来るのが今日も許せない。(関連 水に流せない)
戦争を起こす根元にあるのって、こんな気持ちなんじゃないかな…。
散歩をしていて、思い出しました。
子どもの頃は、こんなことが嬉しかったのです。
生まれ育ったところでは、土の黒や、そこから芽吹く緑色を久しぶりに見るのは、4月の半ばになってからでした。
圧倒的に白の多い、一面のモノクロの世界に、やっと色彩が戻って来たようで心が弾みました。
小さかった私は、陽当たりの良い、庭の隅で見つけた小さな芽を、毎日毎日見に行って、春の訪れを確かめたのでした。
「北海道は猛吹雪」というニュースを心配して連絡を取ると、「思っていたほどではなかった。」と言いますが、そもそもの想定が高いだけで、そこそこ降ったようです。
毎日土を見て、他の季節よりも少ないながらも緑に囲まれて、花だって咲いている色彩豊かな冬をずいぶん繰り返してきました。
それが当たり前ではないことを思い出して、小さな幸せに、もっと感謝しなくちゃなぁ…。