はじめに,日々のあれこれ

 子どもの頃の私は、北海道の大自然に包まれながら、家族の愛を一身に受け、好奇心の赴くままに、生きている事を全肯定されて育ちました。

 ひいき目に見ても、可愛らしいとは言えない見た目、さらに負けず嫌いで意地っ張りという、愛されるべき性格でもないのに、三姉妹の末っ子だというだけで、ほとんどの「負」を大目に見てもらいながら、「私は特別な子なんだ」と勘違いしたまま育ちました。

 社会人となり、故郷を離れて仕事をする中で、様々な本を読み、研究者の話を聞いて、そんな私をあらためて肯定してくれる言葉に出会いました。

 「感性は大自然の中で育まれる。」

 「肯定されて育った人間は強い。」

 私の中にある、優しく美しい思い出が、今の自分を作っている一片一片なのだと振り返ったとき、一緒にいてくれた家族や、周りにあった風景への愛しさが、どんどんと溢れて来るのを感じました。

 名もない一人の人間の心を育てた、ささやかな出来事だけれど、誰かに知ってもらいたい。でも、私の幼少期を知っている人に知られるのは恥ずかしい…。そんな葛藤の末に、エッセイという形で書き上げた20篇ほどを、ペンネームを使って自費出版したのは16年前です。

 無名な上に、知人のほとんどに内緒にしているのですから売れるはずもなく、誰に読んでもらうでもなく静かに埋れていく予定でした。

 とは言っても、日常生活を送る中でふと愛しい思い出が蘇ると、頭の中がそればかりになり、ついついエッセイにまとめようとする自分がいます。せっかく思い出したのに、そうしないとまた忘れてしまいそうだと。

 そうやって、誰かに知ってもらいたい出来事は、しんしんと降り積もっていたのでした。

 世の中は大きく変わり、個人が発信できる手段を、複数の中から選べるまでになりました。

 そんな便利なツールを利用して、願いだった「誰かに知ってもらいたい。」を、再び夢見ることができる今に感謝しています。

同じ空の下,日々のあれこれ母の一世紀

 「同じ空の下」

 これは、大好きだった祖父が亡くなったときに、葬儀に駆けつけられない自分を慰めた言葉です。北の地平に近い空を見つめて、あの青のどこかは、静かに眠っている祖父を見下ろしている空に違いないと。ここでの祈りは、すぐそばにいるのと変わらず届いているはずだと。

 葬儀に向けて電報を打ちました。

 「遠く離れていても、同じ空の下。みんなでおじじの冥福を祈っています。」

    *「おじじ」は、うちの子どもたちをはじめとしたひ孫たちの、祖父の呼び名です。

 今年、会いたい人への思いが空回りするばかりの、もどかしい日々を過ごしました。

 ゴールデンウィークの帰省を諦め、夏休みにも諦め…。

 家に一人きりになっている母をいくら心配しても手が届かない歯痒さに、物理的な距離とは残酷なものだとあらためて感じました。

 そんな憤りを洩らす私に、電話の向こうで母は言いました。

 「それでも、おんなじ空の下にいるんだから…。あんたが言ったんだよ。」

 そうだった…!

 そして、覚えてくれていたんだ…。

 とは言っても、来年の夏には一直線に飛んで、本当に繋がっている一つの空だと、もう一度確かめておかなければ気が済まない思いでいます。