「おまえはもう、どこにもやらんからな」
背中に負ぶった母をなだめるように、そう言い聞かせながら、祖母は田舎道を歩いた
母の思い出の中でも、指折りの幸せな時間だった
父親を、小学4年生で亡くした母たちは、その実家のある地域に、親戚を頼って移り住んだ
祖母が一人で、子ども8人を抱えての生活は困窮し、伯父の家に養女として出されたのが母だった
農作業の力になる兄や姉たち まだ幼かった妹や弟
母が選ばれたのは、やむを得ない状況だったか
その家での生活は辛いものだったという
朝早くから、家事や炊事をこなす
それでも、登校前に玄関の掃除を済ませなければならない
終わったと思ってもダメ出しされ、やり直す
毎日遅刻して、先生に叱られる
あるとき、事情を知った先生が、「これからは、どんなに遅刻してもいいですよ」と言ってくれたほどだったそうだ
帰ってからも、畑や田んぼの仕事だと言ってこき使われ、精神的にも追い詰められ続けた母の心は、徐々に病んでいった
ある日訪ねてきた親戚が、母の様子を見て「このままでは、この子がダメになる」と進言し、連れ戻されることになった、ということだった
あのとき、母の幸せを、何よりも願っていただろう祖母も、母が中学2年生のときに、成人する姿を見ることもなく旅立った
その後、辛い結婚をしたことも、後妻に入った家で苦労もあったけど、優しい夫に恵まれたことも、どこかでそっと見ていたのかな
その伯母の訃報に接したときに、母はお悔やみに顔を出すことさえ拒んだのを覚えている
何十年経っていても、子どもの頃に受けた心の傷は癒えることがないのだと思った
ただ、母の家事のスキルや、農作業の手際の良さ
法事等で、大人数を受け入れて切り盛りする甲斐性などは、このとき身につけたんじゃないかな…と思っている
本人には絶対言わないんだけど
私にも、幼い頃、母に負われて、田舎道を歩いた思い出があります
大人になっても忘れることのない、優しい背中…
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