アルバムを断捨離

 1つ目に開けた包みに入っていたのは、私が子どもの頃の古いものから、子どもたちが生まれる直前までのアルバム4〜5冊でした。

 そこで、私は最初の決断をしました。

 中学生以降の写真は全部捨てよう。

 撮られ慣れていなかった学生時代の私たちはぎこちなく、おまけに使い捨てカメラの画質の悪いこと…。こんなものを律儀にアルバムにまで貼って取っておいた私って…。

 まさしく、この断捨離のテーマである、

「私が突然死んでしまったときに、残された者に迷惑をかけたくない。」

という基準に真っ先に引っ掛かるものでした。

 とりあえず、このまま処分するに相応しい駄作の数々を、恥入りながらひと通り眺めました。

「こんなの遺されたら、苦笑いだろうなぁ…。」

 結婚前後の写真も例外ではありませんでした。

 若い両親が仲良く写っている写真を、センチメンタルな気分で眺めたい子などいないだろうと、さっさと判断して1枚も残さないことに決めました。

 おそらく、子どもたちが一度も見たことのない、そして今後も見る必要がない、いや、見ないで欲しい写真たち…。処分を決めたのが遅すぎたくらいです。

 最初に決めた計画通り、“1週間に1冊ずつ、一般ゴミと一緒に出す”ことを考えると、

「この1ヶ月間は絶対に死ねないな」と、心から思ったのでした。


 引っ越しの慌ただしい中とはいえ、アルバムが古い順にまとめられていて、包に番号が振ってあったのは幸いでした。

「私、偉かった!」と思いました。

 こうして、過去から現在に向かって、大切な瞬間を思い出す旅、不要なものを切り捨てる旅が始まりました。

アルバムを断捨離

 厚手の台紙のアルバムが、60冊!

 写真が200枚くらい貼ってあって、1冊につき約2kg!総重量は…。

 私たちが引っ越しする際に、ひときわ手を焼いた“財産”です。

 それでも、子どもたちの幼い日の可愛らしい仕草、無邪気な笑顔…。大切な瞬間の宝庫を置いてくる気になれず、さらえるように荷造りして持ってきました。

 こちらへ来てからは、物が溢れない生活をしようと決心していました。必要かどうかの判断をする暇もなく、慌てて荷造りして来た物も多かったので、まとまった休みが取れるたびに、押し入れや収納ボックスの断捨離に励みました。

「来たときの引っ越し荷物の重さよりも、確実に今の方が軽くなっているだろうなぁ。」

 満足感に浸りながら居間を見回すとき、必ず心の中に影を落とす物が…。

 そう、物入れの奥に、荷解きもせずに積まれたままになっている100kg以上の大荷物です。

 ときどき思い出しては悩み、方法を考えては、量の多さに圧倒されて諦め…。

 そして、10年経ったある日、

「よし、これから1年かけてやり遂げよう!」

と、決心しました。

 きっかけは覚えていませんが、ふと、

「もしも、私が突然死んだら、残された子どもたちが処分に困るだろうなぁ。」

と思ったのです。

 そう考えたら、処分すべきものはたくさんありましたが、まずは大量の写真とアルバムでしょう。

「1年かけて」というのは、1冊のアルバムから、残しておく“お気に入り”を選び出す時間の確保のためです。処分する前に見納めをして、感慨にふけりたい気持ちもありました。

 一度に大量にやっつけるようなことはしたくなかったので、1週間に1冊ずつ片付けて行くくらいが、気持ちにも体にも無理がないかなと考えたのです。

 無理のないスケジュールといっても、1年間続けるのは根気が要ります。途中で言い訳をしながら、計画が自然消滅することだってあり得ます。

「昔から、こうと決めたら譲らない子。」

 両親の言葉を励みに、まずは1冊目…。

 4冊まとめて包んであった梱包材のガムテープを剥がしました。


 5年ほど前に、この断捨離を敢行しました。その1年間に満足しすぎたために、一つのカテゴリーまで作って語ることにしました。

よろしければ、お付き合いを。

日々のあれこれたどり着いた視点

 子どもたちを三人とも連れてこちらへ来ると決めたことは、周囲には当然、無茶と思われていました。

 中学生と、小学生が二人。

 義務教育中とはいえ、経済的負担は大きいと覚悟しなければなりませんでした。

「昔から、こうと決めたら譲らない子だから。」

という諦めと、

「お前だったら、何とかするんだろうから。」

という両親の信頼に後押しされて、危うげな一歩を踏み出しました。

 そうは言っても、私は「三人の子どもを育てよう。」と決心したわけではないのです。

 あったのは、

「この三人と生きていきたいな。」

「毎日の生活の中に、この三人がいてほしいな。」

という願いだけでした。

「育てる」「育て上げる」なんて立派なことはできそうになかったけれど、いつも一緒にいてお互いを支え合えたら、どんなに心強いだろうと思えたのです。

 幸い、私が就いた仕事は、四人で生活するのに十分な収入になりました。贅沢はできませんが、毎日のおやつや夕食後のアイスクリームを楽しみにできるような生活は保証してあげられました。

 今は、巣立った者、手元に残っている者と様々です。

 みんな、自分の意思で身の振り方を決めて、生活する場所を選びました。

 離れて暮らす者もそうでない者も、苦しいとき、不安なときを、身を寄せ合って乗り切った大切な仲間として、いつでも幸せを願っています。