何者でもない
この4月から、とりあえず肩書きが一つ外れた
ずっと待っていた
仕事っていう立場や時間の拘束は、我儘レベルのマイペースをひた隠していた私には、時々胃が“きゅん”となるくらいのプレッシャーだったんだもの
20年くらい前にこの地へ引っ越してきたときは、「なんとしても“何者か”にならなくちゃ…」って、焦っていた
3人の子どもの人生の前半を、自分の都合で巻き込んだ責任は十分に感じていたし(関連 一緒に生きようと )
贅沢はできなくても、安心して暮らせるだけの収入が必要だったから
横浜線の上り電車の窓から街並みを眺めながら、「ここのどこかで“何者”かにきっとなる!」って、自分を鼓舞したのだった
やっと手に入れて、守り続けて来た肩書きだったけれど、清々しい気持ちで手放した
20年間、我ながらよく頑張った
できることはやり切った
向こうへ戻ったらまた、“何者か”になる必要が発生するのかもしれないけど、移動までの半月は肩書きのない◯◯さんを満喫しよう