秋に
拾い集めた落穂を握りしめたまま顔を上げると、太陽がすっかり沈んだ西の空は済みやかな赤色に染まっていた。
稲束を干し終えた稲架(はさ)に沿って歩き、落ちている穂を拾って、ひと握りになると十円のお駄賃がもらえた。それが貯金箱に貯まっていくのが楽しみで、秋には学校から帰るとすぐに田んぼへ向かった。
一番上に稲を掛けるときには、大人でも脚立を使うほどの高さがある稲架。それが、全ての田んぼの端に次々とでき上がる。そこが私の、毎秋の仕事場だった。
秋の夕暮れは、日が沈むとみるみるうちに暗くなる。ひんやりとした空気がふっと頬をかすめ、足下もよく見えないくらいに暗くなっていることに初めて気づく。ぶるっと身震いをしながら顔を上げると、そこにはいつも、夕焼け空が美しく広がっていたのだった。
両親も祖父母も、もう近くにはいない。隣の田んぼから聞こえて来る稲刈り機の音がとても遠く感じて、今日はもうおしまいにしようと思った。
私の手には、夢中で拾い続けた落穂がひと握りになっている。少し誇らしい気持ちでそれを見つめた。せっかく実ったのに、拾われなければ土に還るしかないのだ。ひと夏かけて育てて来たのだから、誰かのお腹を満たしてこそ、その価値があると信じていた。
以前、記録的な冷夏で「平成の米騒動」という言葉ができた年があった。輸入米が市場に出回り、国産米を求める声が高まる中で、私の脳裏にはいつにもましてこの光景が鮮やかに蘇っていた。一粒も無駄にしたくないと思ったあの時の願いが、全ての人の心に届くような気がした。不謹慎にも、安堵の念さえ憶えたのだった。
今、コンバインで刈り取られる稲は、もう干されることはない。稲刈りの済んだ田んぼは真っ平らで、稲架も姿を消してしまった。落穂拾いの子どもの仕事場もなくなってしまった。
また、さまざまな教訓と対応の中で、もう“米騒動”は起こらないだろうと言われるようにもなった。
それでもなお、私の心にはどうしても流れていかない風景がある。
稲架の下で、落穂を握った女の子が、秋の夕暮れを心細げに見つめている。「この風景をいつまでも覚えていよう。」と決めている。
おじいちゃん、おばあちゃんになった父母が、ひと夏かけてようやく実らせたお米の大切さと、私たちの元にたどり着くまでの道のりの尊さを、自分の子どもたちに伝えるために。
エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より
*加筆しました