水洗い

日々のあれこれ2004年エッセイ集より

 その日、15年使い続けていたガラス製の麦茶ポットの底があっけなく抜けた。冷蔵庫のドアポケットから出そうとして、隣にあった別のガラス瓶とぶつかったときだった。

 いっぱいに入っていた1リットルの麦茶は、なす術もないまま、一瞬で冷蔵庫の前の大きな水たまりになった。

 昨年まで夏を過ごしていた北海道とはまったく違う夏の暑さ。成長する子どもたち。容量に限界を感じていた。そろそろ見切りをつけようかと、2リットル入るものを買ってきたばかりだった。

 捨てるのもしのびないから、冬にでも使おうかな…。

 頭の隅でそんなことを考えていたのに。

 拭き始めてすぐに娘が帰ってきた。

「何があったの?」

 たった今あったことを話すと、

「新しいのが来るまでがんばってくれたんだなって思いなよ。」と言う。

 長年付き合ってきた物への喪失感もさることながら、今の私にとって、目の前の“麦茶だまり”を何とかすることの方が切実な問題なのに!

 憤りを感じながら、雑巾で吸ってはバケツに絞り入れる作業を繰り返した。

 冷蔵庫の前の床を拭き終えてから、ドアポケットを外した。普段だと、何かをこぼしてもそれを拭き取る程度だが、今回ばかりは取り外し、流し場で洗剤をつけて洗った。

 すっかりきれいになったドアポケットに、新しい麦茶ポットをはじめとした瓶やパックが無事に収まると、少し清々しい気分になった。

 さて次は、冷蔵庫の中と外に飛び散った茶色の点々。せっかくの機会だと、今まで見過ごしてきた汚れにも手を伸ばす。

「冷蔵庫って、気づかないうちにこんなに汚れているものなんだ。」

 白く、明るくなっていく姿にウキウキしてきた。

 冷蔵庫の足下や床との隙間は厄介だったが、雑巾を這わせて差し入れてみた。引き出してみると、

「おお!」

 大きなホコリの塊がくっついてきた。

 周辺の床や家具をひと通り拭き上げ、ホッとひと息ついた。1時間前よりも確実にきれいになっている台所の一角を、言い知れぬ充実感と共に眺めた。

 ちまちまとその場限りで取り繕っているのも楽だが、たまには思い切ってザブザブ洗ってみるのも良いものだ。

 そういうことって、結構あるよなぁ。人間関係とか…。

 気持ちに余裕ができるとあらためて、さっきの娘の言葉が思い出された。

「新しいのが来るまで頑張ってくれた。」

 買ったのは、まだ独身の頃だった。一人暮らしから今日まで、家族が増えていくのを見守って来てくれた。

 世代交代という引き際を見誤ることなく、いくつかの教訓を遺して去って行くなんて、ちょっと心憎いなぁ。

 なんせ、長い付き合いだったから…。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました