日々のあれこれ母の一世紀

 少し大げさでした  すみません

 淡々と投稿を続けるのも、結構、性に合っているのですが、ときどき変化が欲しくなります

 今回、タグの種類を一つ増やしました

 ね、細やかなことでしょう…

 “母の一世紀”としました

 これも、少々大げさです

 今年88歳になった母には、一世紀は10年以上も遠い金字塔です

 読んでくださる方は、“ざっくりと”で、ご理解ください

 これまでの投稿にもタグを付けて、辿れるようにしましたので、過去記事も読んでみてください

 母のここまでの人生が、決して穏やかなものではなかったことは、度々書いてきました

 それでも、私たち子どもや、孫、そして今、ひ孫たちにも、溢れるほどの愛情を注ぎ、幸せを願ってくれています

 その背景にある、子どもの頃の、思い出したくもない経験や、父の元へ後妻として来る前に、辛い結婚があったことを私が知ったのは、すっかり成人してからでした

 “波乱万丈”なんて言葉を使ってしまうと、またしても大げさになってしまいそうなので避けますが、自分の境遇を淡々と受け入れて、その中で幸せを見つけながら、精一杯生きてきた母の足跡を、他の誰かにも知って欲しくて、新規のタグを使ってまとめることにしました。

 上記の、子どもの頃の話、一度目の結婚については、まだ文として上げていません  随時と考えていますので、ご了承ください

初めて、二つ同時に花芽をつけたキンセイマルが…
咲きました!

同じ空の下母の一世紀

 父さん、どうする?

 母さんは、父さんの願いをすっかり叶えたけど

 ここ数年の間に、何度か聞かされた、母の思い出話

 嫁いできて間もないある日

 その日の仕事を終えて帰ろうとしたとき、父さんが物置小屋の陰で手招きしていた

 何かと思って行ってみると、突然抱きしめられた

 俺にはもう、お前しかいない

 祖父母がいて、舅も姑もいて、亡くなった前妻の子どもまでいる家

 子育てを手伝ってもらっていた身内まで、あれこれと理由をつけて去っていった

 こんな家に来てくれるのは、きっとお前が最後だ

 俺に不満があるなら、いつだって出ていってもいい

 でも、家族への不満なら、どうか辛抱してほしい

 この言葉を支えに、長い年月を乗り越えてきたという(関連

 四人の年長者を送り終えたときには、とうに還暦を過ぎていた

 一歳から育ててきた姉までも、先に送ることになった( 関連 勝手に使命感

 母さんは、あの日の約束を全部守ったよ

 そんな母さんに、父さんは何をしてあげられるの?

 ちゃっかり、自分まで送ってもらっちゃって…

 母の思い出話は続く

 父さんは、本当に優しかった

 穏やかで、考えが深くて、困った人はみんな父さんに相談に来たんだよ

 みんなが、父さんを立派な人だって言ってくれて、誇らしかった

 父さんをおいて、私が先にいくことにならなくて、本当に良かった

 そうか

 お返しは、ずいぶん前から、少しずつしてあったんだね

2回目の登場 父が大好きだった木です

同じ空の下母の一世紀

 小さな「ひたち海浜公園」を作りたくて、母にネモフィラの種を送ったのはまだ雪深い頃でした

 庭の縁に石を積んで、土を足して花壇にするのを思いついたのは、昨年の夏、何かに取り憑かれたように生垣を剪定しまくったときでした (関連 繋がった空の下で

 90歳近い母には酷な作業に思えたので、甥っ子や、向こうに行っている息子に頼んで“遠隔操作”で進めようと思っていたのですが、奇しくも、自分の手で、思っていた通りにつくることができました

 自由に動ける時間が限られていたので、少しの時間を見つけては、石を並べて土を起こしました

 出来上がった頃、納棺師さんが到着して、父の納棺の儀が執り行われました

 息を切らせて座っている、土の匂いのする私に、父は苦笑していたかもしれません

 でも、秋の開花まで、母の楽しみになるはずの花です

 父も文句は言わないでしょう

 とても仲のいい夫婦でしたから