同じ空の下母の一世紀

 母との生活が始まってほぼ3ヶ月

 話し相手がいる

 必要なときに買い物ができる

 食事を準備する負担が軽くなった

 一人でいるときには味わえなかった心強さ

 母の安心感は、言葉からも表情からも伝わってくる

 それでも、私が起き出す6時には家の周りを既に一周していて、野菜の生長ぶりを把握している

 田んぼの水が多いだの少ないだのと、気を揉んでいる

 先日は、やっと実が膨らみ始めたとうもろこしがアライグマに荒らされたと、起き抜けの私に憤りながら知らせてくれた

 午後、木陰の椅子に座ってじっと遠くを見ている

 遠くで庭仕事や畑仕事をしている友だちを見ている

 元気ぶりを確認したり、その人と楽しんだことや苦労話を思い出したりしている

 夕方、やっと風が涼しくなったと喜んでいる

 沈んで行く大きな夕日に手を合わせている

 ずっと一人でそうしていたんだね

 そんなとき私は空気になって、様子をただ見守っている

 祖父が母に言った言葉

 「生きていりゃ、きっと良いことがあるからな」( 勝手に使命感 参照)

 良いことあった?

 私が聞いたら、きっと「あったよ」って笑顔で言うんだろう

 本当のことだけ知りたいから、それは聞かないことにしている

7月に富良野へラベンダーを見に行ったのは、何と初めてです

同じ空の下母の一世紀

 母は言う

 ◯◯さんも、△△さんも、あんたが戻って来るのを待っていたんだよ

 聞いていると、近所のたくさんの人たち…中には、思いも寄らない人の名前まで上がる

 「⬜︎⬜︎ちゃん(わたしの名前)もうすぐ帰って来るね」

 「楽しみだねぇ」

 分かってる

 その人たちは私が戻って来るのを待っていたんじゃない

 私が戻って来て喜んでいる母を早く見たかったんだよね

 そんな人たちに囲まれて、これまで見守ってもらっていたことに感謝しています

日々のあれこれ歳時記,母の一世紀

 「昔から、『冬至十日前』って言われたもんだけど、本当なんだね」

 冬のある朝、母がそう言った

 当時、私は小学生だったと思う

 当然、インターネットなんか無かった頃だから、母の情報源は、テレビから数秒間流れる「日の出、日の入り情報」

 それを、毎日カレンダーに書き込んで、確かめたのだという

 そのときの母は、日付けと時刻、何分間日足が伸びたかを、細々と、嬉しそうに話していたなぁ

 ふと気になったことを、追求したくなっちゃう

 そうか… 私のこれは、遺伝なんだな

 インターネットがある時代に、新聞を切り抜いて資料を作りたくなっちゃった私の作品がこちら→→太陽の誕生日