日々のあれこれたどり着いた視点

 「された」ことには、誰でもすぐに反応して、相手に対して怒ったり、他の誰かに訴えたりします。

 一方、「してもらったこと」というのは、すぐに気づけない場合が多くて、ずっと後になってから思い返してみて気づいたり、失ってから気づいたりして、相手に感謝の気持ちを伝える術がなくなっていることもしばしばです。

 でも、後になってからでも気づけた人は幸せです。

 「してもらった」ことを当たり前だと思って生きてきた人は、「してもらえない」状況に不満をもつことしかできません。誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりと悪者探しを始めます。

 自分を可哀想な被害者にしておくのに夢中で、してもらえていたときの幸せに気づけるはずもありません。

 自分の立ち位置を振り返ります。

 歳を重ねてきてやっと、幼かった頃、若くて未熟だった頃に家族にしてもらったことが、感謝の気持ちとともに思い出されます。

 その気持ちに応えるような言葉も態度も返してこなかったことも…。

 だからといって、まだ伝える猶予が残されている父や母に対して、今さらバツが悪くてとても「ありがとう」なんて言えそうにありません。

 そんな自分に言い訳をするために、いつの頃からか、「感謝されなくてもいいや活動」をするようになりました。

 家庭でも職場でも、それなりに役に立っていると自負していますが、相手からの感謝は期待しない。離れて暮らしたときに、職場の異動があったときに思い出して気づいてもらえれば、少し幸せ…☺️

 感謝の気持をもてたなら、その時一緒にいる人に、同じようにしてあげてくれたらいいや…、くらいの気楽さで。

 学生時代に観た「ペイフォワード」という映画を気取っているようでもあります。

 こんなので、両親に「ありがとう」を言えなかったことを後悔しないでいられるかには、自信がもてませんが。

支え合っているようであり、依存しあっているようであり

日々のあれこれたどり着いた視点

 「愚図は嫌いだよ!」

 これは、ジブリ作品「天空の城ラピュタ」の、ドーラのセリフです。

 この場面を見るたびに思います。

 「私も愚図って嫌いだな。」

 私が嫌いな“愚図”とは、俊敏に動かない人のことではありません。

 すべきことがはっきりしているのに、なかなか手をつけない人。そして、できない理由をたくさん持っている人です。

 その言い訳を聞いて、共感の反応をしながら、

「じゃあ、最初からやるって言わないでよ。」と思っています。

 すべきことを始められないのもさる事ながら、一度始めたことを「やめる」と決めたのに、なかなかやめない人には、それ以上の歯痒さを感じます。

 早く手続きをすれば、会費が発生しなくなるのに…。関連の郵便物を確認する手間が省けるのに…。用具に占拠された空間がスッキリするのに…。

 当然、やめられない理由はたくさんあるそうです。

 そのうちタイミングを逃し、保留状態を継続していることも忘れ、お金や精神的なエネルギーの垂れ流しを続けます。

 まさしく、見るに耐えない“愚かな図”です。

 以前読んだ本に書いてあった、

「今持っている不要な物を手放さなければ、本当に必要なものが入ってくるキャパは生まれない。」

という言葉を信じています。

 手放したことを後になって後悔しても構わない。きっとまた、その時の自分が再構築するに違いない。今のものよりバージョンアップして…!

 そうやって前に進みたいのです。

 “愚図”になりたくないから。

命が尽きる瞬間まで、狙い続けている彼らにはかないませんが

日々のあれこれたどり着いた視点

 仕事をしていると、相手は人なのですから、苦情を寄せられて、それに対応するのは使命のようなものです。

 それにしても、苦情を言う人というのは、してもらったことよりも、してもらってないことを数えがちです。そして、それが自分にとっていかに損であったかを語り続けます。

 たしかに世の中を見回すと、「得」「損」という文字が溢れていて、いい大人たちがそんな単純な基準に、いいように振り回されているのではないでしょうか。

 政府も企業も、「お得、お得」と煽ります。得をすることが善である、得をしないことや損をすることが、愚かだとでもいうように。

 ある男の子の話を聞きました。

 運動会で、数名で一組になって棒を持って走る、「台風の目」という競技をすることになり、メンバー決めをしたときのことです。

 当然、走るスピードが近い者同士でチームをつくることを基本に、戦略が立てられていきました。

 クラスには、大勢の人の前では緊張感が強くなり、ときには動けなくなってしまう子がいたそうです。当然、その子がどのチームに入るかはみんなにとって気になるところでした。

 そのとき、真っ先に「ぼくがこの子と一緒に走るよ。」と名乗りを上げたのが、前述の男の子でした。その子を慕う子が、そのチームに集まり、あっさりとメンバーが決まりました。

 練習から本番まで、その男の子は友だちを励まし続け、はじめは不安そうにしていた子も、楽しく運動会に参加できたようです。

 その男の子の50m走のタイムは9秒台で、クラスの中でも速い方だったそうです。

 世の中の動きに絶えず目を光らせて「少しでも得をしよう。」と、周囲の自分への評価に一喜一憂しながら「優越感に浸りたい。」と考えがちな今の大人たち。

 空気を全く読まずに、損だとか得だとか考える間もなく、思い立った使命感だけで、素晴らしいことをやり遂げてしまう子どもたちに、はっとさせられることはたくさんありそうです。

小さな輝きは、目をこらして見つけたい