日々のあれこれ歳時記

 大げさに表現するとこうなりますが、つまりは「風」のことです。

 大人になって、ふと気づきました。

 風の強い日が苦手です。

 そんな話を、以前友人にしたら、

「何事にも動じなさそうに見えるのに、風ごときが苦手なの?」

と、笑われました。

 髪がなびいて、顔に不規則にかかるのがイヤ。

 目にナゾの粒が入るのがイヤ。

 行こうとする方から吹きつけて、少し前のめりに歩くのもイヤ。

 後ろから押されて、自分のペースで歩けないなんて、大きなお世話。

 ここに置いたはずなのに、いつの間にか遠くに移動して落ちているモノを拾いに行くときには、腹立たしささえ感じます。

 そこにあるのが、ただの「空気」とは思えません。一つの大きな塊としての「大気」という言葉がぴったりです。

 4月から5月。

 この地域では、毎年その「大移動」があって困ります。

 私が吐いた二酸化炭素も、何処かから来た良からぬウィルスも、一瞬のうちに巻き込んで、遠くへ運んでしまう「お手柄」を考慮しても、やはり好きになれそうにありません。

 今日は久しぶりに、大気が緩やかに移動しています。

 洗濯物が静かに揺れて、大気と仕事に急かされ続けた一週間の疲れを癒してくれています。

普段は周りに水が流れていて、
シシ神さまが夜の徘徊から戻って来る場所のようです

日々のあれこれ歳時記

 桜が咲き誇って迎えた年度はじめは、みんな、その花のようです。

 新しい環境でも、そうでなくても、笑顔で挨拶を交わし、新鮮な気持ちでお互いを受け入れ合っている風景。そこに立っているだけで、役割を一つ果たしている気分になります。

 でも、その時間はあまりにも早く過ぎ去ってしまうというのも、みんなが知っていることです。

 そして、そこからが本物の時間。

 お互いの実力に気づき合ったり、本性を見せ合ったり…。

 未熟だった人が、着実に力をつけていく時間でもあります。

 まるで、花のあとに、鮮やかな緑色の葉が伸びて、枝を覆っていくようです。

 見上げられたり、愛でられたりすることがなくても、しっかりと自分の葉を茂らせる大切な時間です。

 日々を夢中で過ごしているうちに、知らず知らすに誰かに木陰を提供するようになるかもしれません。

 散りゆく花に寂しさを感じながらも、その次にやってくる本物の時間も、毎年楽しみにしながら待っています。

日々のあれこれ歳時記

 太陽の動きが気になる時季になりました。

 明日は春分の日です。

 今年は3月21日ですが、あらためてこの日になった理由を調べてみようと思い立ちました。

 よく言われるのは、「昼と夜の長さが同じ」。

 でも、日の出が午前5時50分、日の入りが午後5時50分で、ちょうど12時間ずつになるのは、17日だったようです(横浜市)。

 では、もう一つの説、「太陽が真東から上り、真西に沈む」。

 これも、少しズレていました。

 19日に真西に沈んだ太陽が、翌日の20日に最も真東に近い位置から上るのが、一番それに相応しいものでした。(今朝、ほぼ真東から出たんだ!寝坊した自分が恨めしい…。)

 ここで、やはり日の出、日の入の時刻や位置ともにズレて設定されていた、夏至や冬至のことを思い出してみます。この2つの日の決定打は、太陽高度でした。南中したときの高度が、それぞれに最高と最低でした。(関連 太陽の誕生日 )

 「丁度半分の高さなのかな…。」と計算してみましたが、やはりこれも当てはまりませんでした。

 結局は分からずじまいで、夏至や冬至を元にして、365日を分けたのかな…と、思うことにしました。

 細かいことは一旦忘れることにして、これから秋までは、朝と夕方の太陽が家の北面をも照らすようになります。

 北極まで行くと白夜になるのですから、北の地方ほど照らされる時間が長くなります。

 北海道からも、ようやく春の気配が感じられるようになったと知らせがありました。これから始まる短い春や夏に、太陽の祝福がたくさん受けられることを願っています。