日々のあれこれ母の一世紀

 昨年、山のように生い茂った雑草の中に千本ねぎの株が幾つかあるのを見つけた

 味噌汁の具にするために何度か掘ったが、特に世話をすることもなく秋の終わりには雪の下に埋まっていった

 春になって、周りの雑草よりも早く青々と葉を伸ばし始めたのを見て、ふと「今年は大事にしてみようかな…」と思った

 何十年も前に、それまで勤めていた鉄工所をやっと退職できた父が一念発起し、冬のビニールハウスに電熱線まで敷いて出荷用に栽培し始めたのがこの千本ねぎだった

 米を作るだけでは生活していけない規模の米作農家だった我が家は、父が働きに出て、さらに母が中心となって野菜を作って出荷してやっと生活が成り立っていた

 色々な野菜を手掛けては、そつなくこなしていく母の姿を見ながら、頼まれると断れないタイプの父は、定年を過ぎてもなかなか退職できず、農業だけに専念できる日をずいぶん待ち焦がれていたようだった

 一時は大きな収入源になっていたねぎ栽培も、二人の体力の低下とともに断念せざるを得なくなった

 夏場に株を育てていた畑に残って野生化していたものも、年々掘り起こされては別の野菜が植えられていくうちになくなっていった

 ある年、田畑を引き継いだ甥っ子が昔の懐かしさもあって、それらの“残党”を移植したらしい

 でも、その後は手が回らずに、数年間雑草の中で耐え忍ばせる羽目に…

 やっと陽の目をみることになった千本ねぎたちは、久しぶりに株分けされて各所に植えられた

 その一部などは、かつての栄光を取り戻すかのようにビニールハウスの中に鎮座させることにした

 ねぎが苦手な母は、「どうしてそんなにねぎばっかり…」と、不満そうにしている

 「じいちゃんが大事にしていたねぎだからだよ」と言うと少し納得するものの、数日後にはまた苦情を訴えて来るんだろうな…

日々のあれこれ母の一世紀

 前回の投稿に引き続き、母の思い出話を…

 いよいよ明日妹に会える、という日の夜

 母がこれまで聞いたことのなかった話を始めた

 母の母親の葬儀の後、火葬場で

 小さな弟が泣き止まない

 「かあちゃーん、かあちゃーん」

 母と妹は、そんな弟を連れて外に出た

 弟を負ぶったまま、周辺の畦道を散歩する

 それでも弟は泣き止まない

 「かあちゃーん、かあちゃーん」

 火葬場の煙突から黒い煙が上がっている

 弟は泣き止まない

 「かあちゃーん、かあちゃーん」

 「あの煙はかあちゃんだから、みんなで呼んでみよう かあちゃん、返事してくれるかもしれないよ」

 三人で「かあちゃーん! かあちゃーん!」

 ここで母は笑った

 「でもかあちゃん、返事するわけないからさ」

 「それで畑の真ん中で、三人で『うわーん、かあちゃーん、かあちゃーん』って泣いたのさ」

 最後の言葉は声を詰まらせ聞こえなかった

 私も声を出すことも出来ずにただ頷いていた

 母の思い出話は、これまで書いてきたように早く両親をなくしたことで苦労はしたが、それを乗り越えて来たという話が圧倒的に多かった

(よろしければ、道のりをはじめ「母の一世紀」というタグの付いた文を辿ってください)

 こんな風に純粋にそのときの喪失の悲しみを聞いたのは初めてだったんじゃないかな

 話すだけの気持ちの余裕がやっと出来たってことかな?

 この機会に、忘れていたことを思い出したとも十分に考えられるけど…

 とりあえず、母よりも早くは逝けないよな…

上川盆地です 見晴らしの良い温泉に行って来ました

子どもの頃のこと,日々のあれこれ母の一世紀

 久しぶりに母の話を…

 田んぼや畑が雪に埋まったこの季節

 することがない! 雪かきの他には

 屋根雪の下敷きになったという事故のニュースも聞かれるので、運動のための雪かきも安全なところに限っている

 単調な生活に何らかの刺激が必要と、懐かしい人に会いに行く活動をぼちぼち始めた

 八人の兄弟姉妹のうち存命なのは母を含めて五人

 遠方で行くのが難しいケースもある中で、姉と妹はそれぞれに行ける範囲の施設にいる

 従姉弟たちと連絡を取り合って面会を予約する

 「◯◯日に会える」と決まった日から、母の思い出話が加速する

 楽しみにしているんだなと、ほっこりしながら聞いている

 繰り返されてよく知っているものもあるけど、“新作”もしばしば登場してくる

 圧倒的に多いのは、両親をなくしてからのこと

 妹や弟が泣いていた

 「お腹が空いた、寒い、足が冷たい」

 年長の者はどうしてもやれなくて困っていた

 そして、いつもお金に困っていた

 母は家族や親しい人を気遣うときに、しつこいくらいに言う

 「お腹空いてないかい?」

 「寒くないかい?」「足、冷たいんじゃない?」

 若い者には鬱陶しがられることもあるくらいに

 原点がここなんだもの、時代に合わせて変わるってことはないよなぁ

 私が子どもの頃、母の実家へ遊びに行くと、帰るときに必ずお小遣いを貰った

 伯父さん、伯母さんたちの原点もそこだったんだなぁ

 子どもながらに、母の兄弟姉妹がとても仲良かったのを覚えている

 早いうちに両親に先立たれて、若いうちから体を酷使して家計を支えた兄や姉、親戚の家に預けられるなど別れ別れになりながらも励まし合って成人した兄弟姉妹

 あの頃は、みんながちゃんと家庭をもって子どもを連れて集まれるようになっていて、そんなささやかなことが嬉しかったんだな

 数年前に姉と父が相次いで亡くなったときに、多くの親族の中でも最後まで母を気遣って寄り添ってくれたのも、この人たちだったのは言うまでもありません

なんと、マイナス8℃でも路面の氷が溶け始めていました!1月の日差しって、こんなに強いんだ…