子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 末の息子の手を引いて、近くの駅に向かう。息子はうつむき加減に歩き、ときどき立ち止まって、

「お母さんも一緒に行ってほしかった。」とぐずる。

 私たちはそれぞれ逆の方向行きの電車に乗るのだ。

 都会から外れた小さな駅に、人が行き交う喧騒はなく、近くで踏切の音が鳴り始めると、たった一日だけの予定には不釣り合いなほどに、その響きが旅愁を誘う。物憂げな空気が流れ始める。

 この休日はどうしても家族の予定が合わず、ひとりぼっちになる末の子は、知人の家でみんなの帰りを待つことになった。

 先方は三つ先の駅まで迎えに来てくれている。そのたった三駅分の「冒険」が不安でたまらないのだった。「末に生まれし」子への情けが、これほどまでの甘えっ子を育ててしまった。

 電車は私たちの前をゆっくりと流れ、ちょうど最後尾の扉が目の前に来たときに止まった。息子の背中を押しながら、車掌さんに一言お願いをする。

 目の前の扉が開かれたことで観念したのか、息子は吸い込まれるように乗り込んだ。そして、入り口に一番近いシートに腰をおろすと、不安そうな笑顔をこちらに向けた。

「平気だよ。」と、私が向けた笑顔の合図は、間もなく扉に阻まれて、ごとんという音とともに、静かに電車は動き出した。

 窓の向こうで、息子はまだこちらを見ていたが、遠ざかるにつれ、窓に景色が反射して、あっという間に見えなくなった。

 二人の間で柔らかにまとわりつき合っていた糸がみるみる細くなり、すっと消えた気がして、心細いような、わずかな自由を手にしたような複雑な感覚が残った。


 夜、それぞれの予定を終えてみんなが集まる。

 再び、私の周りに糸たちがふわふわとまとわりつき出す。

 新鮮な気持ちで糸と戯れ合いながら、あの細くなって消えた感覚も忘れないでおこうと、小さく覚悟した。

本文とは関係ありませんが、あまりにもきれいで…

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

奇跡のような軌跡

 12月の半ばを過ぎたある日、鳴った電話を取ると、聞いたことのない男性の声は、知らない姓を名乗りました。

「私の妻は、お宅のご主人と数ヶ月前から親しくなり、今回ご 主人が海外に行かれる際に、私と別れて同行し、そのまま一緒になると言っています。

奥さまはそれを了解しており、3人の子どもたちのことも、現在同居しておられるご主人の両親のことも、喜んで引き受けるとおっしゃっているそうですが、本当ですか。」

「……。」

 突っ込みどころが多すぎて、何も言えませんでした。

 夫の、調子のいい言い分。

 それをまに受ける、若く浅はかな相手の奥さま。

 真偽を確かめようと、未知の相手に電話をかけてきた先方の生真面目さだけが救いでした。

「そんな人間、本当にいると思いますか?」

 まずは、そう言いました。

 確かに、最近の夫は様子がおかしかったこと、経済的に安定しない2人の逃避行は成功しないと思われることなどを話しながら、未熟な伴侶を選んでしまった者同志、半ば友情のようなものを感じながら、今後のこちらの出方を相談しました。


 話している最中の余裕とは裏腹に、電話を切った途端に身体が震え出し、ヘナヘナと座り込みました。

 どうしよう…。

 誰かに相談したくても、心配をかけたくないという気持ちが先行して、身内は全て候補から除かれていきました。

 ようやく頭に浮かんだのは、夫が師と仰ぐほど尊敬していた先輩でした。

 すぐに電話をかけましたが、家族の方が出られて、体調を崩されて入院中だとのことでした。

 もはや、誰かに頼るという選択肢は消えました。

 自分のことで頼りになるのは自分自身だけなんだ。

 もう一つの考えが頭をもたげました。

 これはチャンスかもしれない。

 夫を奪われた被害者として周囲に同情されながら、大手を振ってここを逃げ出し、あの「呼ぶ声 」のする方へ行けるかもしれない。

 その時の私はどんな表情をしていたのでしょう。

 途方に暮れていたのか。

 悲痛な面持ちだったのか。

 それとも、意味ありげに微笑んでいたのか…。

 とりあえず、鏡を見なくて良かったと、心から思います。


 結局、未熟者たちは元の鞘におさまりました。

 私がこちらに来るきっかけとなった、あの電話や出来事は誰にも知られることなく、残念ながら、私は可哀想な被害者ではなく、夫と両親を置き去りにした恩知らずのように、あの家を離れたのでした。

 たとえそんな汚名を着せられても構わないと思えるほどに、あの日呼んでいた声に、私は魅せられていたのです。

子どもの頃のこと歳時記

 あの人はその日も、遠くを見る目で懐かしそうに思い出話を始めた。

 この時季に山に行くと、真っ白でこんな形の花びらをした花が、雪のように咲いていたものだと。

 その指は、細長いひょうたんのような形を描いた。

「こぶしといったかなぁ。もう一度見たいものだなぁ。」

 大好きだった人の願いを叶えたくても、その花を知らなかった私は、当てもなく遠くの山を眺めた。

 たとえ見つけたとしても、腰が曲がり、杖をついたこの人が、それを見に行けるはずがないのだと、子ども心に感じていたのだが…。


 それからわずか数日後、私は目の前で雪が降りしきるように散る白い花びらを、驚きとともに見つめていた。拾い上げると、ひょうたんのような形をしていた。

 遠足で行った公園に、たくさん植えてあった木だったのだ。

 散ってきたものを受け止めたり、地面の上から汚れていないものを選びながら、夢中で集めた。喜ぶ姿を思い描くうちに、もっと、もっとと気持ちがはやり、気がつくとリュックサックがいっぱいになっていた。遠足の日に、早く家に帰りたいと思ったのは、多分そのときだけだったろう。

 家に帰って、得意になって、はい、お土産だよ。これがこぶしだよね。と差し出した。

 しかし、返って来たのは、ああ、そうだよ。これはこぶしだね。という言葉だけで、喜んでくれると思っていた人は、そのままふらりとどこかへ行ってしまった。

 その人の心が、昔と今とを行ったり来たりし始めていたことには気づいていて、黙って後ろ姿を見送るしかなかった。

 白いたくさんの花びらは、指の間からするするとすべり落ちて、庭の隅で静かに土に還っていった。


 大人になってあらためて、こぶしは山や公園だけでなく、街路樹としても見られる身近な木だと知った。

 その身近な木が、春になるたびに様々な場所で、私にこのほろ苦い思い出を呼び起こさせる。ただ、悲しかったとか、辛かったという気持ちは湧いてこない。

 そんなにも大好きだった人がいたという思い出。

 小さく、弱かったときから大切にしてもらった。

 わがままを言って困らせても、そばにいてくれた。

 あの人の前で、私はただ生きてさえいれば良かった。

 私の命は祝福されたのだと、一年に一度ちゃんと思い出せるように、あの人が印象的な思い出を用意してくれたのだと、白い花びらをを眺めながら思っている。