子どもの頃のこと2004年エッセイ集より,母の一世紀

 5月の下旬に差しかかったある朝。

 その日は5時半ちょうどに起き上がった。

 それは、40年前に私が生まれた日時だった。

 毎日だいたいこのくらいの時刻に起きているのだが、そのときにはいつものような、

「まだ眠い…。あと5分…。」はなく、起き上がってしんみりと、目覚まし時計の針と、その横にデジタル表示されている日付を眺めた。


 私は自分の誕生日が好きだ。

 梅雨のない北海道で5月下旬の暖かさは、寒く長い冬を越えたご褒美のようで、開放的な夏に向かって行く気配に満ちていた。

 ある日、小さかった私は、モンキチョウが2羽戯れて飛んでいるのを見つけて、かぶっていた姉のお下がりの帽子を虫取り網がわりに、振り回しながら追いかけていた。

 あぜ道を走り、家からずいぶん離れてしまった頃、家の方から母が私を呼んでいる声が聞こえた。

 逃げ去っていくモンキチョウを、うらめしそうに振り返りながら駆け戻った。

 うっすらと汗をかいてたどり着いた私に、母は、

「今日は、お前の誕生日だよ。」と、買ったばかりの薄黄色の帽子をかぶせてくれた。つばの広い夏用の帽子だった。


 今になっても、誕生日を迎える頃はワクワクする。

 植物や虫捕りが好きだった子どもの頃に、気持ちが戻っていく。

 何か楽しいことが始まる予感が止まらない。

 その中に、自分のいのちを祝福してもらった、ささやかなこの思い出が、淡く彩りを添えてくれているのだろう。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

子どもの頃のこと歳時記

 向かいの家では、幼なじみの大きな鯉のぼりがゆうゆうと泳いでいました。

 私は家の周りや田んぼのあぜ道を歩き回り、溶け残った雪を割ってふきのとうが顔を出すのを手伝っては、「春の精」気分を味わっていました。

 ゴールデンウィークという言葉はその頃からありましたが、土曜日は休みではなかったし、4日も祝日ではなかったので、連休を実感できたことはあまりありませんでした。

 家族は田植えの準備で忙しい時季で、出かける予定はないものだと思っていました。

 それでも、拘束されない自由な時間がたくさんあるのが嬉しくて、休みの日はこうした“散策”をしたものです。

 多分、私はこれを「春探し」と名づけていました。待ち遠しかった春が来たんだと実感したかったのです。

 肌寒い空気の中に、わずかでも日差しの温もりを感じ取ろうと、縁台に座ってじっと息を凝らしていたこともありました。


 昨今は、この頃に限りなく近いゴールデンウィークを過ごしています。

 近所の庭を眺め、公園を散歩して、思わぬ発見を未熟な腕でカメラに納めます。のどかなこの地域では、“同胞”を各所で見かけます。

 そこだけ見ていると、実に平和な世の中なのに…。

 もうすぐ、実家のある地域から、桜の便りが届くはずです。

八十八夜はもう過ぎてしまいましたが…。