日々のあれこれたどり着いた視点

 仕事をしていると、相手は人なのですから、苦情を寄せられて、それに対応するのは使命のようなものです。

 それにしても、苦情を言う人というのは、してもらったことよりも、してもらってないことを数えがちです。そして、それが自分にとっていかに損であったかを語り続けます。

 たしかに世の中を見回すと、「得」「損」という文字が溢れていて、いい大人たちがそんな単純な基準に、いいように振り回されているのではないでしょうか。

 政府も企業も、「お得、お得」と煽ります。得をすることが善である、得をしないことや損をすることが、愚かだとでもいうように。

 ある男の子の話を聞きました。

 運動会で、数名で一組になって棒を持って走る、「台風の目」という競技をすることになり、メンバー決めをしたときのことです。

 当然、走るスピードが近い者同士でチームをつくることを基本に、戦略が立てられていきました。

 クラスには、大勢の人の前では緊張感が強くなり、ときには動けなくなってしまう子がいたそうです。当然、その子がどのチームに入るかはみんなにとって気になるところでした。

 そのとき、真っ先に「ぼくがこの子と一緒に走るよ。」と名乗りを上げたのが、前述の男の子でした。その子を慕う子が、そのチームに集まり、あっさりとメンバーが決まりました。

 練習から本番まで、その男の子は友だちを励まし続け、はじめは不安そうにしていた子も、楽しく運動会に参加できたようです。

 その男の子の50m走のタイムは9秒台で、クラスの中でも速い方だったそうです。

 世の中の動きに絶えず目を光らせて「少しでも得をしよう。」と、周囲の自分への評価に一喜一憂しながら「優越感に浸りたい。」と考えがちな今の大人たち。

 空気を全く読まずに、損だとか得だとか考える間もなく、思い立った使命感だけで、素晴らしいことをやり遂げてしまう子どもたちに、はっとさせられることはたくさんありそうです。

小さな輝きは、目をこらして見つけたい

日々のあれこれ

 このブログを開設して一年が経ちました。

 当初から、週末に一度の更新ペースでしたが、昨年の今頃は、その度に頭を抱えていました。

 「画面がイメージ通りに配置できない!」

 「この画像、消したはずなのになんで残ってるの?」

 カタカナの用語にも泣かされました。

 「サイドバー?」「ウィジェット?」「カラム??」

 つまずくたびに、ひと様が上げてくれている情報を探して解決したり、分かった気になって、あれこれといじっているうちにかえっておかしくなって落ち込んだり…。

 これまでの知識が役に立たない土俵で試行錯誤するのは久しぶりでした。なんとも言えない不安感と、解決できたときのワクワクは、どちらも新鮮でした。

 最近覚えて悦に入っているのは、文中にリンクを貼ること…。

 まだ、そんなレベルです(汗)。

 若手のお笑い芸人さんが言っています。

 「やれば、できる!」

 上手にできるとは限りません。

 大成功をおさめられるのは世の中の一部の人でしょうし。

 やらなかったよりも、ほんの少しのプラスがあれば、それは「やったからできたこと」だと満足していいはずなのです。

 「よく分からないけど、思い立ったから始めてみよう。」

 一年前の思いつきは、各駅停車のスピードで継続に変わっていきました。

 本来の目的である、「定年後の楽しみ」になるまで、果たして続けていけるのかな…。

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 子どもが三人もいると、頼み事をしやすい子が一人はいるものだ。我が家の場合、それは長男。

 長女のように言葉巧みに逃げる器用さもなく、末の息子のように頼りなくもない。

 そうやって「お願い」を重ねているうちに、いつの間にかいろいろなことを覚えて、「困ったときに頼りになる奴」に育ってくれた。

 中でも特に進んで手伝ってくれるのはカレー作り。

 「堂々と刃物が使えるから。」とは、それらしい理由だが、実はそれだけではない。

 その日も、大きめに切った肉を炒めるとき、さりげないアイコンタクトを取り合いながら長男がガスコンロの前に立った。

 程よく肉に焦げ目がつき、いい匂いが立ち込めた頃に、私はそっと箸を手渡そうとした。いつもの、“つまみ食い”用の…。

 すると、その日は何も言わずに首を横に振り、ニヤッとしながらポケットからつまようじを取り出した。そしてそれで、おそらく炒めながら目星をつけておいたのであろう、中でも大きめの一切れを突き刺し、パクっと頬張った。

 熱さでしばらくあふあふしていたが、そのうちに、その顔はみるみる笑顔になる。私が目で「おいしい?」と合図を送ると、笑顔のまま首を大きく縦に振る。私もまた、この瞬間を毎回楽しみにしているのだ。

 カレーを作るたびに、台所でこんなやり取りがあることを他の二人は知らない。ときには損な役回りを引き受けてもらっている感謝の印として、ささやかな秘密を共有する楽しみがあってもいい。

 それにしても、つまようじ持参とは、要領が良くなったものだ。

 お人好しで「イヤ」と言うのが苦手。

 生きるのに不器用なのではと心配したが、決してそうではないかもしれない。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

*加筆しました

頼んだら、張り切って描いてくれました。本の挿し絵になるとは思ってもみなかったことでしょう。そして、今でも知りません…