日々のあれこれ歳時記

 大げさに表現するとこうなりますが、つまりは「風」のことです。

 大人になって、ふと気づきました。

 風の強い日が苦手です。

 そんな話を、以前友人にしたら、

「何事にも動じなさそうに見えるのに、風ごときが苦手なの?」

と、笑われました。

 髪がなびいて、顔に不規則にかかるのがイヤ。

 目にナゾの粒が入るのがイヤ。

 行こうとする方から吹きつけて、少し前のめりに歩くのもイヤ。

 後ろから押されて、自分のペースで歩けないなんて、大きなお世話。

 ここに置いたはずなのに、いつの間にか遠くに移動して落ちているモノを拾いに行くときには、腹立たしささえ感じます。

 そこにあるのが、ただの「空気」とは思えません。一つの大きな塊としての「大気」という言葉がぴったりです。

 4月から5月。

 この地域では、毎年その「大移動」があって困ります。

 私が吐いた二酸化炭素も、何処かから来た良からぬウィルスも、一瞬のうちに巻き込んで、遠くへ運んでしまう「お手柄」を考慮しても、やはり好きになれそうにありません。

 今日は久しぶりに、大気が緩やかに移動しています。

 洗濯物が静かに揺れて、大気と仕事に急かされ続けた一週間の疲れを癒してくれています。

普段は周りに水が流れていて、
シシ神さまが夜の徘徊から戻って来る場所のようです

日々のあれこれたどり着いた視点

 最近になって、土曜日が「0点の日」になることが増えました。

 「休日のルーティーン」と呼んでいた掃除や雑務など、気が乗らないことはやめにして、やりたいこと(中でも生産性のないこと)だけをダラダラやって、気がつくと夕方になっているような…。

 YouTubeで音楽を垂れ流す。タブレットやパソコンでゲームやパズルを止め処なく続ける…。我ながら、「こんなに続けられるものなんだ。」と感心してしまうほどです。

 幸せなことに、土日は確実に近い割合で、仕事を休んで2連休を満喫できる状態が何年も続いています。

 「せっかくの休みなのに…。」「もったいなかったなぁ。」

 元気が有り余っていた頃は、そんな口惜しい気持ちで一日を終えることもありました。

 そんな気負いを捨てることにした頃から、0点だった土曜日が、自分らしく過ごせた一日だと思えるようになりました。わがままを許してもらった子どものように、次のやる気が湧いてきます。(単純?)

 そうして、日曜日。

 元気の戻った私は、休日のルーティーンとしてblogを更新し、この後、掃除機を持ち出します。

 リセットの日 の頃に比べたら、少しは考え方が柔軟になってきたかなぁ。

 ついでに、「0点の日」だなんてマイナスイメージな呼び名もやめて、自分を大切にしている感のある名前を考えてみようかな。

春は、シダの葉も、花のように広がります

日々のあれこれ歳時記

 桜が咲き誇って迎えた年度はじめは、みんな、その花のようです。

 新しい環境でも、そうでなくても、笑顔で挨拶を交わし、新鮮な気持ちでお互いを受け入れ合っている風景。そこに立っているだけで、役割を一つ果たしている気分になります。

 でも、その時間はあまりにも早く過ぎ去ってしまうというのも、みんなが知っていることです。

 そして、そこからが本物の時間。

 お互いの実力に気づき合ったり、本性を見せ合ったり…。

 未熟だった人が、着実に力をつけていく時間でもあります。

 まるで、花のあとに、鮮やかな緑色の葉が伸びて、枝を覆っていくようです。

 見上げられたり、愛でられたりすることがなくても、しっかりと自分の葉を茂らせる大切な時間です。

 日々を夢中で過ごしているうちに、知らず知らすに誰かに木陰を提供するようになるかもしれません。

 散りゆく花に寂しさを感じながらも、その次にやってくる本物の時間も、毎年楽しみにしながら待っています。