日々のあれこれ歳時記

 もうじき冬至を迎えます。

「太陽の誕生日」とはよく言ったものです。

 南中高度が一番低くなる日。つまり、ここからまた高く仰ぎ見る太陽へと転じていくのです。

 でも、日の出や日の入り時刻はそれに準じていなくて、日の出が最も遅いのは、年が明けてからだと知ったのは、ずいぶん後になってからでした。

 いつの頃からか、太陽の動きが気になって仕方がなくて、新聞の太陽と月の動きの情報欄を切り抜いてノートに貼り付けたり、日の出ている時間を計算して書き込んだりということを2年間続けたことがありました。

(2年やってみたら、ほぼ同じなのだと納得できたのでやめましたが…)

 そこで得た、前向きになれる情報は、「冬至よりも半月ほど前に日没は底を打つ」ということです。

 定時に仕事を終えたのに、すでに辺りが暗くなっていると、なんだか残念な、心細い気持ちになります。

 そんな時に、「今日より明日は少し明るくなっているはず」と思うだけで元気が出ます。(単純なので…)

 今日の日没は、一番早かった12月の初めよりも、3分くらい遅くなっています。

 この休日も、日差しの暖かさを満喫します。

アナログすぎて、お恥ずかしいですが

日々のあれこれたどり着いた視点

 ふと思った。

 若いって、迂回するのも楽しいと感じる、余裕があるものなんだなぁ。

 答えが半ば見えているのに、まだ悩んでいる。

 AでもBでも、結果はそんなに変わらないだろうに、まだ迷っている。

 やってみなくちゃどうなるかが分からないことを、少しでも前もって予想したくて、あれこれと考えを巡らせている。

 そんな「取り越し苦労」はやめて、さっさと帰って美味しいものでも食べればいいのに…。たっぷり眠って、リフレッシュした頭で考えれば、もっといいアイデアが浮かぶんじゃない?

 もどかしく感じて、よくそんな風に思っていたけれど、そうじゃないのかもしれない。

 若者たちは、すぐに結果を出すよりも、迷ったり悩んだりする時間が好きなのかも。

 敢えて、難関に立ち向かう方を選択して、その時間を楽しんでいるようにも見えるし…。

 大小に関わらず、失敗をなくすために、今できる最大の予想を立てて、それに備えているのを見ても、どこか楽しげだなぁ…。

 自分が「やりながら考える。」タイプで今までやってきただけに、これらの“大きな迂回”を“時間の無駄遣い”と一蹴してしまいたい気持ちは、確かにある。

 でも、経験が少なくて、誰かとコミュニケーションを取ったり悩みを聞いてもらったりしたい人たち。しかも、これからも仕事を続けていく、生きていく時間はたっぷり保証されているわけだから、思う存分迂回をして、それを楽しもうとする余裕も生まれるのだろう。

 若いって、迂回するのも楽しめる、余裕があることなんだ。

 でも、若者!

 その悩みにも迷いにも、ある程度折り合いをつけて、そろそろその仕事を終わらせてくれないかな。

 なぜなら、次の仕事が待っているから!

「ぼっくり松」って、可愛い名前

日々のあれこれたどり着いた視点

 「された」ことには、誰でもすぐに反応して、相手に対して怒ったり、他の誰かに訴えたりします。

 一方、「してもらったこと」というのは、すぐに気づけない場合が多くて、ずっと後になってから思い返してみて気づいたり、失ってから気づいたりして、相手に感謝の気持ちを伝える術がなくなっていることもしばしばです。

 でも、後になってからでも気づけた人は幸せです。

 「してもらった」ことを当たり前だと思って生きてきた人は、「してもらえない」状況に不満をもつことしかできません。誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりと悪者探しを始めます。

 自分を可哀想な被害者にしておくのに夢中で、してもらえていたときの幸せに気づけるはずもありません。

 自分の立ち位置を振り返ります。

 歳を重ねてきてやっと、幼かった頃、若くて未熟だった頃に家族にしてもらったことが、感謝の気持ちとともに思い出されます。

 その気持ちに応えるような言葉も態度も返してこなかったことも…。

 だからといって、まだ伝える猶予が残されている父や母に対して、今さらバツが悪くてとても「ありがとう」なんて言えそうにありません。

 そんな自分に言い訳をするために、いつの頃からか、「感謝されなくてもいいや活動」をするようになりました。

 家庭でも職場でも、それなりに役に立っていると自負していますが、相手からの感謝は期待しない。離れて暮らしたときに、職場の異動があったときに思い出して気づいてもらえれば、少し幸せ…☺️

 感謝の気持をもてたなら、その時一緒にいる人に、同じようにしてあげてくれたらいいや…、くらいの気楽さで。

 学生時代に観た「ペイフォワード」という映画を気取っているようでもあります。

 こんなので、両親に「ありがとう」を言えなかったことを後悔しないでいられるかには、自信がもてませんが。

支え合っているようであり、依存しあっているようであり