日々のあれこれたどり着いた視点,導いてくれた歌

あなたには 幸せになってほしいから 遠くで手を振るだけの人になる

 これも、数年前に新聞の歌壇に載った一首です。 (多少の記憶違いはあるかもしれません)

 失恋の歌のようでもあり、子どもを独り立ちさせようとする親の気持ちを歌ったようにも取れます。

 ちょうど娘が結婚を控えていたときだったので、私には後者がしっくりときました。

 自分が主人公なのは自分の人生だけで、他の人の人生の責任は本人に任せるしかありません。

 たとえ、それが今まで強い影響力を与えてきた我が子でも。

 たとえ、経験の豊富な者の言い分を丸ごと受け入れていた方が、失敗を事前に回避できると思われても。

「木の上に立って見ている」と書く「親」という字。

 頭では分かっていたつもりでしたが、とうとうそのときが来たんだなぁと思いました。

 そして、「くれぐれもこの木から降りないようにしよう。」と、こっそり決心したのでした。

日々のあれこれ

 蛇口から出る水を手でじゃぶじゃぶ受けていると、先日訪れた上流のダム湖が目に浮かんだ。

 あそこからここまで流れる道を作ってくれた人がいたんだ。

 土を掘って、パイプを通してくれた人がいたんだ。

 こんなに透明で安全な水が、間違いなく出てくる日本って素晴らしいな。

 手に傷があると、沁みて痛かったり絆創膏が濡れるのが気になったりするけど、

こうやって、思いっきりじゃぶじゃぶ受けられるのって気持ちがいいな。

 休みの日って、こんな風に気持ちに余裕がもてていいなぁ…。

日々のあれこれ導いてくれた歌

年度の初めはいつも忙しくて、気付くと「とっちらかした」生活をしている。
一つの仕事が終わらないうちに次々と新しい課題が横から差し挟まれ、そらに気を取られていると順調だった仕事までこじれてしまう。
時間はいくらあっても足りない。
集中力が続かない。気持ちがすさんでくる。

当然、生活も乱れてくる。
夕食は、スーパーのお弁当、フランチャイズ店の持ち帰り弁当、チェーン店の丼物…。そのローテーション。
どこか、いつも焦っている。
「早く、速く…。」といつも考えている。

そんな生活に嫌気がさしたときに、いつも思い出す短歌がある。
ずいぶん前に新聞の歌壇に載った。
下の句が、「ちいさきいのちは ていねいに生きる」
上の句は、はっきりとは思い出せないのだが、生まれたばかりの子が、乳を飲んで眠って…を繰り返すだけの日々の愛おしさを歌った、若いお母さんが詠んだ一首だった。

私にとって一番大切なことは何だったかな。
今、私は自分を大切にしているかな。
守ろうと思っていたものを、ちゃんと守れているかな。

仕事の量が減るわけではないけれど、その基本に立ち返ると、不思議と心に余裕がもてるようになる。
「とっちらかって」いた雑事に、冷静に優先順位をつけられるようになる。
fast foodから、slow foodに気持ちがシフトしてくる。

愛情あふれるお母さんのお子さんは、きっと健やかに育って、ずいぶん大きくなったことでしょう。
あなたが生み出した歌もまた、こうして見知らぬ人の心に残っています。
そして、きっと多くの人の心の支えになっていますよ。

マイルドセブンの丘…。もう、防風林ではなくなりました。