日々のあれこれ

 この4月から、とりあえず肩書きが一つ外れた

 ずっと待っていた

 仕事っていう立場や時間の拘束は、我儘レベルのマイペースをひた隠していた私には、時々胃が“きゅん”となるくらいのプレッシャーだったんだもの

 20年くらい前にこの地へ引っ越してきたときは、「なんとしても“何者か”にならなくちゃ…」って、焦っていた

 3人の子どもの人生の前半を、自分の都合で巻き込んだ責任は十分に感じていたし(関連 一緒に生きようと

 贅沢はできなくても、安心して暮らせるだけの収入が必要だったから

 横浜線の上り電車の窓から街並みを眺めながら、「ここのどこかで“何者”かにきっとなる!」って、自分を鼓舞したのだった

 やっと手に入れて、守り続けて来た肩書きだったけれど、清々しい気持ちで手放した

 20年間、我ながらよく頑張った

 できることはやり切った

 向こうへ戻ったらまた、“何者か”になる必要が発生するのかもしれないけど、移動までの半月は肩書きのない◯◯さんを満喫しよう

奇跡のような軌跡

 このタイトルを見て、星新一さんの名前や、「メロンライスにガムライス」というフレーズが思い浮かんだ方は同志ですね

 でも、ごめんなさい

 これは、私自身の「おのぞみの結末」に、一人「しめしめ…」と、思っている話です

 その思いは、あの電話が鳴った日( 電話が鳴って )に私の中で確固たるものになりました

 私が望んでいたのは、自分の両親と過ごす老後

 長男だった元の夫の両親ではなく

 あの日から、私は動いて、間合いを測りながら遠ざかって、切って、頃合いを見ながら周知させて…

 ちょうどいいタイミングで訪れた荷物を下ろした日に、私にはこの「おのぞみの結末」が用意されていることを確信しました

 誰かの心に大きなダメージを与えることなく、ここまでのお膳立てをした自分の調整能力と運は賞賛ものでした

 そのときまで、一か月を切りました

 今描いている理想のように、ほのぼのとした安楽なものではないかもしれません

 でも、自分が弱く未熟だったときに支えてもらった思い出を掘り起こしながら、母と一緒に過ごせる時間を大切にしていきたいと思っています

 若い頃から苦労の絶えなかった母について書いてきた文は、どうする?をはじめとした「母の一世紀」というタグでまとめています

よろしければ、そちらもお読みください

日々のあれこれたどり着いた視点

 こういう人に関わるのは、実に不愉快

 自分が被るわけではなくても

 揉め事が近くで起きて、不条理とも思われるそれに対応している仲間を見るだけでも落ち込む

 なんだろう…

 あの、「自分には落ち度がないのに、こんなに嫌な思いをしています」っていうド直球な自己主張は

 嬉々として、「私の権利を侵したあなたが悪いのです」と責め立てる、幼さの抜けない優越感は

 寛容という言葉は、多分知らない

 「お互い様」という言葉は、死語だと思っている、きっと

 日常生活があまり楽しくないんだろうな

 たまたま起こった不都合をクローズアップして、悲劇の主人公を味わいたくなっちゃったのかな

 ひとしきり騒いだ後には、気まずさが残って、自分も苦しくなるだろうに

 それもきっと、他人のせいにして、「自分は悪くない」を決め込むんだろうけど

毒を吐いた後には、懺悔の花を忘れない…