カポックの花が

 少し前に、安全地帯の歌について書いたので、今回もそれにあやかったタイトルにしましたが、歌詞には関係のない内容です。ごめんなさい。

 「じれったい」のは、カポックの開花までの道のりです。

昨年の12月21日

 冬に向けて、剪定をしていて気づきました。この状態になるまで気づかなかったことに、少し落ち込みました。

1月30日

 写真が下手でごめんなさい。

 1か月以上経っても、ほとんど変化なし。やはり、気温の影響は大きいのでしょう。

4月10日

 暖かくなって、やっと変化が目に見えるようになりました。

 25年前には、4月にはもう咲いていましたが、(関連 思い出のしおり )北海道の家の中で育てていたので、このペースが自然界としては正しいのでしょう。

4月29日

 アスパラのような“節”の部分が開いて、そのひとつひとつから、花芽が出始めました。

5月14日

 花芽がいよいよ開いてきました。これが伸びて、さらに枝分かれをしていきます。

 ここまで半年!

 子育て中だった前回は、毎日が慌ただしかったのもあって、そんなこと感じた記憶がありませんが。

 ああ、じれったい…。

日々のあれこれたどり着いた視点

 平面上で指を動かすだけで、ほとんどのことが調べられる。

 既知、未知を問わず沢山の人とコミュニケーションが取れる。

 ぼんやりする時間など作らないほどに、数えきれない娯楽を与えてくれる。

 これだけで、何のことを言っているのか分かります。

 その有用性についても、弊害についても、それこそ少し調べればいくらでも情報が得られます。

 その中にあるのか、ないのか、調べてもいませんが、世の中の“謙虚”や“感謝”の概念が何となく薄まっているように感じます。

 そのツールを使いこなしたことで、自分には特別な才能があると思い込んでしまう。

 指一本で、強大な敵を打ち倒す破壊力を得たつもりになる。

 その分野で遅れを取った人たちを、侮ったり蔑んだりして、優越感に浸ろうとする。

 小学生以下の小さな子どもから、いい大人まで、たった今、自分の身の周りで起きている現実を正しく認識することに、無頓着になってはいないでしょうか。

 技術を駆使して敵を倒したのかもしれませんが、そのゲームを開発した人たちと、みんなで遊ぶために配信できるようにした人たちが素晴らしいのです。

 インターネットで注文した食事にも、それを調理した人と届けてくれた人がいるのです。また、そのシステムを構築した天才的な人たちがいるのです。

 私たちの多くは、誰かの多大なる才能と努力の恩恵を受けているだけの、その他大勢の凡人なのです。

 もの心ついたときからそんな環境が出来上がっている子どもたちに、こうした事実と、それに向き合うときの“謙虚”と“感謝”を正しく教えるのは、私たち大人の急務ではないでしょうか。

GWは、久しぶりに千葉県へフェリーで渡り、海沿いを散策しました

同じ空の下導いてくれた歌

 「同じ空の下」で検索すると、高橋優さんをはじめ、「名前がかぶってごめんなさい」と謝るしかないレベルで、才能溢れる皆さんの曲や作品が表示されます。

 サイトを立ち上げたのが2019年の秋なので、明らかに便乗した感じになってしまい、さらにごめんなさい。

 立ち上げ当初に、祖父が亡くなったときに打った弔電が、サイト名の由来になったことを書きましたが (関連同じ空の下 )、その元になったイメージをくれたのは、安全地帯の「夢のつづき」という曲でした。

  あの日そろいの帽子は どんな街角にいても

  一つに広がる 空を知っていた

 1980年代のアルバムに入っていた曲だと思いますが、玉置浩二さんの、囁くようにな歌声が心に語りかけます。

 大切な思い出を、あまりにも丁寧に、こんな視点をもって表現できるんだと、心がふるえました。

 この機会にとYouTubeで探したら、色々なバージョンで公開されたものがありました。

 私はやはり、初期のシンプルなものが好きです。

アマリリスです。ひと株から、花芽が二つ出ました。良い春になりそうです。