主張

子どもたちのこと2004年エッセイ集より

「なるほどなぁ、と思いましたよ。」

 長男が小学校に上がった春の家庭訪問で、担任になった朗らかな先生はそう言って笑った。


 ひらがなの学習に入ったばかりの国語の時間に、一番最初の「つ」の字を、プリントで練習したときのこと。プリントの前半には「つ」を何度か書く欄があり、後半には「つ」のつく言葉を考えて書くために、三〜四文字分の空マスが連なったものがいくつか並んでいた。

 ほとんどの子どもたちは、「つ」を練習した後、思い思いに後半の課題に取り組んでいたが、ふと見るとうちの息子のプリントは、前半は済んでいるが後半には手がつけられていなかった。

「ここには『つ』のつく言葉を書くんだよ。考えてごらん、『つ』で始まる言葉はないかい?」

 先生がそう話しかけると、

「でも、先生、ぼくは『つ』っていう字は、今教えてもらったから分かるけど、ほかの字はまだ習ってないから分からないよ。」

 平然と、そう言ってのけたというのだ。


 長男の通った幼稚園は、当時では珍しく「勉強の時間」がなかった。それでも同年代の子どもたちは、みなそれぞれにひらがなの読み書きを身につけており、中には漢字を書ける友達さえもいた。なのに、我が息子は全く焦っていなかった。

「字は学校へ行ったら勉強するよ。」

「自分の名前が書けるからいいよ。」

 そう言って、必要最小限のスキルを持って入学したのだった。


 先生は続ける。

「最近は、ほとんどの子どもたちがひらがなをマスターして小学校に上がって来ますから、いつの間にかそれが当たり前みたいになっていましたよ。」

 そして、嬉しいことも言ってくれた。

「覚えていないことは、これから覚えればいいんです。それよりも彼のように、もじもじせずに、自分の状況をはっきりと伝えられることが大切なんです。」

 こんな大らかな先生の下で、長男は伸び伸びと小学校低学年の時代を過ごした。


 それから数年…。引っ越しで環境は変わったが、学校が好きで、友達を作るのが上手なのは相変わらずだ。

 勉強が好きになれないのも相変わらずだが、テストの点数が悪くても、動揺する様子はない。学期末に成績が下がったとしても、さほど大きな問題ではないらしい。

「君には君の良さがあるよ。」

 そう言い続けてくれた人を、きっと今でも信じている。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」より

※加筆しました。