きょうだいたち
小学生だったある日、長男は親友ともいえる友達とけんかをして帰って来た。我が家の末の次男も含めてサッカーをしていて、その友だちの蹴ったボールが弟の腹に当たり、謝れだのどうのともめたあげくに言い合いになったらしい。
二人は神妙な面もちで帰って来た。いつもと違う様子に気づいてたずねると、長男が事のいきさつをぽつりぽつりと話し始めた。
痛さと驚きで泣き出した弟の涙は、お互いに多少のことは大目に見ようと、大らかに付き合ってきた友だちとの仲でも、妥協することを許さなかったようだ。
帰ってからずっと黙ってうつむいていた末っ子が、我慢していた涙をぽろぽろとこぼし始める。この子なりに、兄に大事な友だちとけんかさせてしまったことを、申し訳なく思っていたのか。
高学年といえども、小学生男子の関係とは単純なもので、彼らの友情はすぐに復活し、その出来事は間もなく忘れ去られた。
ただ、友だちよりも兄としての正義を選び、弟をかばった長男の優しさは、みんなの心に刻まれた。
ふと、ずっと以前にも、こんなきゅんとなる感覚をもったことがあったと思い出してみる。
あれは、長男がまだ幼稚園に通っていた冬だ。その日は長女が小学校から戻るのが早くて、長男を車で迎えに行くのに珍しく同行した。間もなく、子どもたちが園舎から出て来たので連れ帰ろうとすると、冬の恒例として、戯れの雪合戦が始まった。
初めのうち、雪玉はただ乱れ飛んでいたが、いつの間にか、男の子の中のリーダーで、当時長男の一番の仲良しだった子の合図により、長男一人が狙われてぶつけられるという形勢になっていた。
子どもは悪ふざけが過ぎて、そんな残酷なことをすることがある。だが、こんな仕打ちをされる理由に、全く覚えのない長男にはひどくショックな出来事だったろう。
半べそをかいている長男を車に乗せて帰る途中、それ以上のショックと怒りを隠せない様子だったのは長女だった。
「今まであんなに仲良く遊んでいたのに…。」
「もう、あの子は遊びに来なくてもいい…。」
家までの5分ほど、独り言のようにつぶやき続けた。
車を停め、降りて家に向かう。後部座席の長女は降りようとせずに、探し物でもしている様子だった。
「早くおいで。」と声をかけようとして振り返ると、座った身をさらに低く屈めたまま、こっそりと涙を拭っていた。
きょうだいとは不思議なものだ。普段はけんかばかりして、自分が相手を泣かせるのは平気なくせに、こんな風に、他人に涙を流させられるのは許せない。
そして、長男のように相手に立ち向かって行くこともあれば、長女のように、何もできなくても、陰でこっそり胸を痛めている。
どちらにも言えるのは、そのとき同じ痛みを感じているということなのだろう。
「自分には、痛みや悲しみをいつも一緒に担ってくれた仲間がいる。」
こんなささやかな思い出が、生きていく勇気の一つになりますようにと願っている。
エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より
*加筆しました