穏やかに迎春
初詣には二度行きました。その場合、二度目の方は初詣とは呼ばないのかもしれませんが…。
近所に、遠方からも参拝者が来るような大きな神社があり、お札も頂いているので、そこが氏神様と言えるのでしょう。今年は、久しぶりに大吉のおみくじも頂きました。
でも、本当に初の初詣は、いつもの散歩コースにある小さな祠でした。
公園の一角にある私有地。傾きかけた鳥居の奥にひっそりと鎮座しています。忘れ去られているようで、節目ごとにお供物が上がっているところを見ると、誰かが大切に管理しているのでしょう。
前を通るときにはいつも一礼します。立ち止まって手を合わせることはありませんが、素通りもしないことに決めています。
以前、その公園の脇にある暗く寂しい坂道を、夜遅くに一人で歩いて帰らなければならないことがありました。
不審者が出たという話の他に、いないはずの人を見たという怖い噂も多く、暗く吸い込まれるような下り坂に、意を決して進み入りました。
ところが、いざ歩いてみると恐怖心を全く感じないのです。所々に灯っている街灯は決して明るいものではないのですが、ふんわりと気持ちを落ち着かせてくれました。
五分ほどかけて九十九折りの坂道を下って降りたところに、その公園の入り口があります。その時に、ふといつも頭を下げている祠のことを思い出し、
「守ってもらえたのかなぁ。」と思いました。
信仰とは縁遠いと思っていた父が、以前言ったことがありました。
昔、暗く寂しい田舎道を歩いたときに、心細さもあり、怖くて仕方がなくなった。思わず、聞きかじっただけの念仏を唱えると、不思議に気持ちが落ち着き、無事に家に帰り着けた。
信仰といえるほど、無心にそれを敬い続ける謙虚さはなくても、否定もせずに、ふとしたきっかけで感謝の気持ちをもてる。そんな柔軟な心が、日本人には受け継がれているのだと思います。
「今年もよろしくお願いします。」と、両方の神様に挨拶をし、穏やかに一年がスタートしました。