やっと、見えてきた
孫がもうすぐ一歳になります。
娘が毎日のように写真や動画を送ってくれるので、日々の成長をほとんど見逃すことなく、目を細めて見守ってきました。
娘が生まれた頃は、セクハラやマタハラなんて言葉はもちろん、そんな態度には問題があるという意識も浸透していませんでした。
職場に産休を申し出るのも、一年間の育休を希望するのも、罪を告白してでもいるかのように後ろめたかったものです。
育休中に二人目を考えていることが話題になったときには、明らかに歓迎していない様子で、嫌味を言われました。
それから30年経った今はどうでしょう。
あのとき嫌味を言った上司も、気遣わしかった同僚も、どこで何をしているのか知りません。お互いの幸せを願う必要も、当然ありません。
一方、あのとき生まれてきた無力だった娘は、ずっと私に寄り添い続けてくれました。
よき理解者として、頼りにすることもあります。
毎日の張り合いになるような、可愛らしい姿を届けてくれます。
意識の改革が進んでいる今でも、女性にとって出産や育児のリスクは大きくて、周囲の理解が得られず辛い思いをしている人が多いと聞きます。
でも、これから生まれてくるのはただの無力な新生児ではありません。自分の人生に彩りをくれる、可能性の種です。
自分の人生にとって、隣の席から飛んできたコショウの粉くらいの影響しか及ぼさない「誰か」にとっての不都合などに、気を遣う必要はないのです。
何十年か先の自分の人生に、どんなメンバーがいたら楽しいかな…、幸せかな…、と考えてみてください。
100年にも満たない人生の中で、今、いちばん大切にしなければならないものが見えてくるはずです。