日々のあれこれたどり着いた視点

 向けられたマイクに、そこそこの大人が答えている

 「悲しいです」

 悲しみの理由は、

 “玉ねぎが高い”

 “回転寿司が値上がりした”

 “欲しいものが品切れ”

 そんな、子どもみたいな…

 「悲しい」

 「悲しい」って、泣きたいくらいの精神的ダメージを受けているってこと

 カメラに向かって、全国に向けて、自分のメンタルの弱さをそんなに正直に話していいの?

 自分にとって不都合なことに対して、

 「そのせいで、自分は悲しい気持ちになった」なんて、被害者になって周囲の共感を得たいの?

 そもそも、語彙が乏しすぎ

 年齢や経験から言っても、先方の事情くらい理解できるはずなのに

 せめて、「残念です」

 余裕があるなら、「こんな状況なんだから、仕方がないですよね」くらい言いたい

 テレビ局も、そんな映像を流さないでほしい

子どもたちのこと,日々のあれこれたどり着いた視点

 後悔していることがあります

 もう10年も前のことで、今ではすっかり解決しているのに

 長男が、北海道で三年ほど一人暮らしをしていました

 その頃は、他の二人の教育費が重なって、後になって「どうやって乗り切ったんだっけ」と思うくらい、我が家はギリギリの経済状態でした

 長男はこまめな連絡を面倒がるタイプで、それを良いことに、ほとんど連絡を取り合うことなく過ぎていきました

 戻って来たときは、話には聞いていたものの、すっかり痩せ細っていました

 食費を浮かせようと渓流釣りに励む中で、命に関わるようなアクシデントに遭遇したこと

 冬、室内でも零度を下回る休日に、燃料費をかけないために布団にくるまって一日を過ごしたこと

 眩暈がして、病院に行くと「今どき珍しい栄養失調」だと言われたこと

 自由を満喫し、数々のピンチを自分の裁量で乗り切った、武勇伝や笑い話として語りました

 驚いたり、一緒に笑ったりしながら、「せめて、一ヶ月に一度くらいは様子を聞いてあげればよかった」との思いが膨らんでいきました

 今でも、それを思う度に、好物を大量に作ってしまいます

 もう何年も経ち、30代を迎え、腰回りの肉が気になってきているというのに…

 取り返しがつかないここというのは、厄介なものです

 気持ちが囚われて、どうしてもそこから解放されません

 見えている現実を冷静に受け止めることもできなくなってしまいます  まさしく、長男のお腹のように…

 こんな後悔は二度としたくありません

 今しておかなければならないことは、一つです

 年老いた母を一人にしないこと(関連 繋がった空の下で

 今日も、胸の奥がヒリヒリするような後悔を教訓に、「一年半という月日が長すぎませんように」と願っています

 ちなみに、今回の決心を長男に話したら、「お母さんは、そろそろ子離れしなくちゃダメだよ」と言われてしまいました

日々のあれこれたどり着いた視点

 マイムマイムに続く、キャンプファイヤーを囲むフォークダンスの王道です

 今の若い世代に伝わるかは、分かりませんが…(汗)

 一応、説明を入れます

 男子の輪、女子の輪の二重の円になり、同じ位置にいる者同士で手を繋ぎ、半ば肩を組んで踊ります  一節毎に、内側か外側かの円がずれて、次の相手と踊ります  曲が終わるまで、10人くらいの相手とこれを繰り返していきます

 思春期の始まる小学生にとっては、ワクワクの止まらない一大イベントでした

 長男が中学生の頃、これを久しぶりに思い出しました

 学年全体が開けっ広げな雰囲気で、「◯◯と◯◯が付き合っている」という話が日常会話の中でなされ、さらに「別れたから、次は◯◯と付き合うことになった」と、次の情報もすぐに入って来ました  付き合った期間は一週間くらいが平均で…  何の後腐れもなく…

 その様子を、私と長女は「オクラホマ・ミクサー」と呼んで面白がっていました  もちろん、BGMも頭の中で流れていました

 最近、また頭の中に、「オクラホマ・ミクサー」が流れ始めました

 転職サイトのcmを見ているときです

 若者たちが、自分に合った仕事に巡り合うのは大切な事なので、決して茶化したり、面白がったりしてはいけないとは思いながら、企業と若者が順繰りに出会いと別れを繰り返している二重の円が目に浮かびます

 無限に流れる音楽の輪から抜け出して、きちんと自分の居場所を見つけられる若者が、どうか増えますように

日々のあれこれたどり着いた視点

 油断しないで見ていてくれないと、ひねくれちゃうよー

 まさしく、そんな感じです

 12本のコキアは、素直で順調な株と、どこで挫けたのか、絶賛迷走中なのと、この幼さで、もう明暗が分かれてきました

 全部が順調だなぁと、思える瞬間はありません

 太陽の光と重力とに逆らわず、上へ上へと伸びるだけかと思いきや、様々な要因があってこのようなことになってしまうのでしょう

 三人の子どもたちを育てているときも、そうだったなぁと思い返します

 みんな順調!と思えた瞬間なんて、長女が小学校に通っていた頃までで、年に数回はあったかな…

 この年になっても、子どもたちに関する心配は絶えないし、加えて高齢化する両親のことは常に心配だし、姉や甥っ子、姪っ子のことで手を貸せないかと焦りを感じる日もあります

 人生の縮図(?)のような12本は、外で自生しているものよりは随分育ちが遅いようですが、秋までにどこまで楽しませてくれるのか、他と比べることなく見守っていくつもりです

*種は、 縁切り上手で、カマキリが乗っていた自生のコキアから、頃合いを見ていただきました。

そして、カポックはすこぶる順調
キンセイマルの花芽は4つに増えました 先の2つは同時に咲くのかと思ったら、どうやら順番待ちをするようです 深いなぁ…

日々のあれこれたどり着いた視点

 先日、スーパーの玉ねぎ売り場を前に、動きが止まった

 知っているのの倍の値段! ニュースで言ってたけど、身近なことなんだ

 どうしても欲しかったので、バラ売りのを一つだけ買った

 ふと、この玉ねぎが来た道のりを思う  生産者のことを考える

 勝手なイメージだけど、そこは北海道の東部の平野

 広大な土地を相手に、ほんの数名の人が機械の力も借りながら自然と戦っている

 大きなコンテナにいっぱいになった“我が子”たちが、二束三文で売られて行くのを見送った日もあったはず

 たまには“貴重品”として売られて、恭しく買われたっていいんじゃないかなと思ってしまう

 インタビューのカメラに買い物客は、

 「高くて買えません」

 「困ります」

 「悲しいです」

と、期待された言葉で答えている

 汗にも泥にも塗れず、体力を大きく使うこともなく、少しのお金を支払うだけで食べられた今までが、たまたま幸せだっただけですよ

と、教えてあげたい

 実家や親族の土地を受け継いで米を作ってくれている甥っ子が、昨年は豊作だったのに、買い叩かれて収支がほぼ同じだったと嘆いていた

 「きっといい時が巡ってくるよ」と、LINEで送った

最近はこればかり… でも、楽しみでしょうがありません

日々のあれこれたどり着いた視点

 「若者たちが、『◯◯させていただきます』というのは、媚びではないか」という内容の文を、新聞の投稿欄で読んだことがあった

 それから数日後、その投稿への反応として、「謙虚なのは良いことではないですか 私は毎日『今日も生かして頂いている』と感謝しながら生活しています」という文が載った 

 投稿者は80代の方で、人生経験から来る謙虚な姿勢と発言には重みがある

 とは言っても、問題になっている言葉は、謙虚さから出るものとはどうしても思えなかった

 私も前者のように「◯◯させていただきます」を苦々しい気持ちで聞いている派で、その根底にある心理を“逃げ”だと思っている

 しかも、実体験が元になっている

 ずっと以前の職場で、ささやかな昼食会を開いたことがあった

 年齢が上の先輩や上司もいる中、たまたまの巡り合わせで私が司会を務めた

 食事が終了し、紹介や歓談などひと通りの予定を終えて、時間も頃合いなので閉式のタイミングに

 そのとき、司会として「これで、昼食会を終了いたします」と、すんなり言えなかった…!

 目上の面々を前に、自分が決定して“終わらせる”ことに謎の重圧を感じ、やんわりと責任の所在をぼやかしたくなった

 口をついて出た言葉が「終わらせていただきます」

 『私はあくまでも、皆さんにこの役をさせてもらっているだけです』『私に決定権などないのです』と言わんばかりに…

 数日間、自己嫌悪に陥った

 誰も異議を唱えるはずなどなかったのに

 食事に行って、料理を運んできた店員さんが

 「こちらの方、ハンバーグセットになります」という

 まるで、「厨房でそう言われました 自分はただ持ってきただけです」とでもいうように

 まさしく頼んだ料理だし、見た目だってメニューの写真とほぼ同じなんだから、文句を言う人はいないだろう

 「お待たせしました ハンバーグセットです」と断言してくれた方が耳触りがいいのにな、と思う

 私には、自分が決定すること、断言することからやんわりと逃げているように聞こえるこれらの言葉

 他の人たちは、どんな気持ちで聞いているんだろう

 最近、“たどり着いた視点”のタグをつけた文では、毒を吐きがちです

 それなりに長く生きてしまった者の愚痴だと思って、大らかに読んでください

 いよいよ蕾が出てきたカポックの花の成長ぶりを、懺悔のつもりでつけて添付します

枝分かれした芽の一つひとつから、花の蕾が出始めました

日々のあれこれたどり着いた視点

 平面上で指を動かすだけで、ほとんどのことが調べられる。

 既知、未知を問わず沢山の人とコミュニケーションが取れる。

 ぼんやりする時間など作らないほどに、数えきれない娯楽を与えてくれる。

 これだけで、何のことを言っているのか分かります。

 その有用性についても、弊害についても、それこそ少し調べればいくらでも情報が得られます。

 その中にあるのか、ないのか、調べてもいませんが、世の中の“謙虚”や“感謝”の概念が何となく薄まっているように感じます。

 そのツールを使いこなしたことで、自分には特別な才能があると思い込んでしまう。

 指一本で、強大な敵を打ち倒す破壊力を得たつもりになる。

 その分野で遅れを取った人たちを、侮ったり蔑んだりして、優越感に浸ろうとする。

 小学生以下の小さな子どもから、いい大人まで、たった今、自分の身の周りで起きている現実を正しく認識することに、無頓着になってはいないでしょうか。

 技術を駆使して敵を倒したのかもしれませんが、そのゲームを開発した人たちと、みんなで遊ぶために配信できるようにした人たちが素晴らしいのです。

 インターネットで注文した食事にも、それを調理した人と届けてくれた人がいるのです。また、そのシステムを構築した天才的な人たちがいるのです。

 私たちの多くは、誰かの多大なる才能と努力の恩恵を受けているだけの、その他大勢の凡人なのです。

 もの心ついたときからそんな環境が出来上がっている子どもたちに、こうした事実と、それに向き合うときの“謙虚”と“感謝”を正しく教えるのは、私たち大人の急務ではないでしょうか。

GWは、久しぶりに千葉県へフェリーで渡り、海沿いを散策しました