日々のあれこれたどり着いた視点,導いてくれた歌

「捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ」

 さだまさしさんの、「檸檬」。サビの部分です。

 この歌詞に心を動かされたのは10代の頃で、別れ際に見せる、こんな思い切りの良さに、憧れのようなものを感じました。

 とは言っても、それまで持っていたものを、こんなに大胆に切り捨てられる勇気など、持てるような日が来るとは思えませんでした。

 この春、数年に一度の大きな別れがありました。

 人事異動です。

 今回は、慣れた場所や人と離れ、おそらく、知人が一人もいない場所でのスタートになります。

 名残惜しくても、寂しくても、最後には自分で決定したこと。

 大切に関係を築いてきた人たちの記憶から、お互いのことがだんだん薄まって消えていくのも、それぞれにとって必要なことのように思えます。

 何度か繰り返してきたこうした別れに、ずいぶんたくましくしてもらったんだなぁと感じています。

 感謝の気持ちを込めながら、未練を残すことなく別れを告げようと思います。去り際も、「檸檬」を見習って。

「消え去る時には こうしてあっけなく 静かに堕ちてゆくものよ」

心なしか膨らんできました。
「カポックの花が」のカテゴリーも、そろそろ更新したいものです。

日々のあれこれたどり着いた視点

「愛」の字に 込めた想いは 時を経て

         永遠(とわ)と刹那に 分かれてゆけり

ななえ 詠

 昨今のニュースに、こんな考えが頭をよぎる人が多いのではないでしょうか。

 心が未熟なまま親になり、そのときの「ノリ」や「思いつき」で、見た目の良い文字を当てた、新鮮な響きの名前を選んだのだろうと。

 自分の身に起こっていることの原因も分からず、それが「悲しい」とか「辛い」という感情だということにも気づかない子もいたでしょう。

 この先、自分は成長して、こんなのではない未来が待っているという希望などもてるはずもなかったでしょう。

 ただ生きて、苦しんで、目を閉じてしまった小さな命に、胸が痛くなるばかりです。

 それでも、「愛」の文字を与えたその瞬間には、それぞれに決意があったと思いたいです。

 一年近くも胎内で育て、自分と同じ体温でこの世に生まれてきた命を愛おしく思うのは、生き物の本能ではないでしょうか。

 その命は、祝福されて、この世界に歓迎されて生まれてきたのだと、言葉が分るようになってから、ちゃんと伝えてあげてほしかった…。

 そのときの決意を、「永遠」へと続けている方々もたくさんいらっしゃる中、「刹那さん」への思いを中心に書いてしまったことをお許しください。

日々のあれこれたどり着いた視点

 たった今、この子に

 あらん限りの愛情を注いだら

 ひとの痛みを分かる子に育てたら

 世界中のみんながそうしたら

 40年先には、平和な世界が実現しているかな

 私たちが今見ているのは

 60年も前に起きた出来事の

 しわ寄せなのかもしれない