「愛」の字に 込めた想いは 時を経て
永遠(とわ)と刹那に 分かれてゆけり
ななえ 詠
昨今のニュースに、こんな考えが頭をよぎる人が多いのではないでしょうか。
心が未熟なまま親になり、そのときの「ノリ」や「思いつき」で、見た目の良い文字を当てた、新鮮な響きの名前を選んだのだろうと。
自分の身に起こっていることの原因も分からず、それが「悲しい」とか「辛い」という感情だということにも気づかない子もいたでしょう。
この先、自分は成長して、こんなのではない未来が待っているという希望などもてるはずもなかったでしょう。
ただ生きて、苦しんで、目を閉じてしまった小さな命に、胸が痛くなるばかりです。
それでも、「愛」の文字を与えたその瞬間には、それぞれに決意があったと思いたいです。
一年近くも胎内で育て、自分と同じ体温でこの世に生まれてきた命を愛おしく思うのは、生き物の本能ではないでしょうか。
その命は、祝福されて、この世界に歓迎されて生まれてきたのだと、言葉が分るようになってから、ちゃんと伝えてあげてほしかった…。
そのときの決意を、「永遠」へと続けている方々もたくさんいらっしゃる中、「刹那さん」への思いを中心に書いてしまったことをお許しください。