子どもたちのこと2004年エッセイ集より

 湯船から、長男の声がした。

「むかーし、むかし。桃が流れてきました。」

 私は洗い場で髪を洗っていた。シャンプーが目にしみるのを気にしながら、薄目を開けて声のした方を見ると、ちょうど目の高さを桃が流れて行く…。しかも、二つ…。大きい桃と、小さい桃が左から右へと…。

 唖然としながら見とれていると、桃は湯船の右端で次々に沈み、ざばぁーっと二人の息子の笑顔が現れた。

 思わず拍手。迫真の演技だった。しかも、積み重なった疲れをも癒す大サービスではないか!

 もちろん、個性溢れる長男のアイデアで、二人はこっそり練習していたそうだった。


 それから間もなく、長男は一人でお風呂に入るようになってしまった。何やら、思うところがあったらしい。

 末の息子とお風呂に入っても、桃はまず流れて来ない。照れ屋さんにはちょっと荷が重いようだ。

 では次の桃は、孫ができるまで待たなくてはいけないということか。もしも、おばあさんになってから待ちに待った桃が流れてきたら、お約束通り「拾って持って帰って」しまいそうだ…。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より
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子どもの頃のこと2004年エッセイ集より

 私が小さい頃には曽祖母がいて、よく思い出話をしてくれた。

 北海道の原野を開拓して農地を広げた話。

 その近くに元々住んでいた、言葉の通じない民族の突然の訪問にひどく驚いたあまりに失礼をして、怒らせてしまった話。

 怪我で気を失い、“仏様”に助けられる夢を見て目を覚ました話。

 まるで物語を話すように遥か遠くを見つめながら話し、そして最後には決まって「はっはっ…。」と笑う。

 西の山に沈んでいく夕日に手を合わせながら、

 「今日も無事に生きられた。」と、涙を流していた姿は、今でも目の奥に焼き付いている。

 私はいつでも、彼女のそばにいるのが嬉しかった。


 私が小さかった頃、祖母もよく思い出話をした。

 若い頃の毎日の仕事は、ただただ辛かった。

 誰にも分かってもらえず、いつも悲しかった。

 体を壊して、病院にもよく通ったものだ。

 私はその話がいつ終わるのかと、早く遊びに行きたいと、生返事ばかりして叱られた。そして、「おまえも分かってくれないのか。」と責められた。

 私はいつしか、彼女の近くに行くことさえも怖くなっていた。


 二人は何の意図もなく、それぞれに自分の生き様を見せてくれただけだった。でも私は、無意識のうちに感じ取っていた。人生が幸せと不幸せとに分かれていく瞬間を。

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

                      *加筆しました

子どもの頃のこと2004年エッセイ集より

 私が子どもの頃、時間はゆっくりと流れていた。なぜ、放課後から日暮れまでの数時間で、あんなにたくさんのことができたのだろうと思うほどに。

 田舎育ちの私の周りは、発明の材料に満ちていた。

 冒険の舞台にも事欠かなかった。

 気の合う仲間が集まって、「今日は何をしようか。」と言って始まる。予定も約束もないゼロから計画し、へとへとになって家に帰る頃には、心に自分へのお土産をどっさり抱えていた。

 今、私の子どもたちの時間はどのように流れているのだろう。大人の私があっという間と感じる日々は、子どもたちの胸に何かを残しているのだろうか。

 私が見つけた数知れないときめきを、自分の子どもたちにも味わわせてあげたくて、さまざまな経験を共にしてきた。大人が一緒なのだから、種類は豊富。行動範囲は広い。

 しかし、私にゆっくりと流れていた時間の中に、大人はいなかった。

 冒険して、初めてたどり着いた場所で無性に心細くなり、家に帰って母の顔を見てほっとする。とても長い間会えなかったように感じた。

 子どもだけが知る、ゆっくり流れる時間の秘密はそこにあるのか…。

 あの時間を子どもたちに与えるには、私は身を引くしかないのだろう。そんなとき、大人になってしまった自分を、少しだけもどかしく感じる。 

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

              *加筆しました