子どもの時間はゆっくり流れる
私が子どもの頃、時間はゆっくりと流れていた。なぜ、放課後から日暮れまでの数時間で、あんなにたくさんのことができたのだろうと思うほどに。
田舎育ちの私の周りは、発明の材料に満ちていた。
冒険の舞台にも事欠かなかった。
気の合う仲間が集まって、「今日は何をしようか。」と言って始まる。予定も約束もないゼロから計画し、へとへとになって家に帰る頃には、心に自分へのお土産をどっさり抱えていた。
今、私の子どもたちの時間はどのように流れているのだろう。大人の私があっという間と感じる日々は、子どもたちの胸に何かを残しているのだろうか。
私が見つけた数知れないときめきを、自分の子どもたちにも味わわせてあげたくて、さまざまな経験を共にしてきた。大人が一緒なのだから、種類は豊富。行動範囲は広い。
しかし、私にゆっくりと流れていた時間の中に、大人はいなかった。
冒険して、初めてたどり着いた場所で無性に心細くなり、家に帰って母の顔を見てほっとする。とても長い間会えなかったように感じた。
子どもだけが知る、ゆっくり流れる時間の秘密はそこにあるのか…。
あの時間を子どもたちに与えるには、私は身を引くしかないのだろう。そんなとき、大人になってしまった自分を、少しだけもどかしく感じる。
エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より
*加筆しました