子どもの頃のこと2004年エッセイ集より

 私が子どもの頃、時間はゆっくりと流れていた。なぜ、放課後から日暮れまでの数時間で、あんなにたくさんのことができたのだろうと思うほどに。

 田舎育ちの私の周りは、発明の材料に満ちていた。

 冒険の舞台にも事欠かなかった。

 気の合う仲間が集まって、「今日は何をしようか。」と言って始まる。予定も約束もないゼロから計画し、へとへとになって家に帰る頃には、心に自分へのお土産をどっさり抱えていた。

 今、私の子どもたちの時間はどのように流れているのだろう。大人の私があっという間と感じる日々は、子どもたちの胸に何かを残しているのだろうか。

 私が見つけた数知れないときめきを、自分の子どもたちにも味わわせてあげたくて、さまざまな経験を共にしてきた。大人が一緒なのだから、種類は豊富。行動範囲は広い。

 しかし、私にゆっくりと流れていた時間の中に、大人はいなかった。

 冒険して、初めてたどり着いた場所で無性に心細くなり、家に帰って母の顔を見てほっとする。とても長い間会えなかったように感じた。

 子どもだけが知る、ゆっくり流れる時間の秘密はそこにあるのか…。

 あの時間を子どもたちに与えるには、私は身を引くしかないのだろう。そんなとき、大人になってしまった自分を、少しだけもどかしく感じる。 

エッセイ集「これはきっとあなたの記憶」(2004年)より

              *加筆しました

日々のあれこれたどり着いた視点,母の一世紀

 仕事上の研修を受けていて、心を揺らされる言葉に出会いました。

 それは、「見捨てられなかった思い出」。

 そのときの講師の方が、以前先輩から聞いたという話です。


 子どもの頃、楽しみにしていた祭りの夜店に行くはずだったのに、夕方から眠り込んでしまった。目覚めたときにはすっかり遅くなっており、店も閉まっている時刻と思われ、行けずに終わった。悔しくて悲しくて、両親をはじめとした周囲の慰めや励ましを受け入れられずに、ただ泣き続けた。みんな呆れ果て、そっとしておこうということになったようだった。

 翌朝、兄が自転車の後ろに乗せて、行くはずだった神社の境内まで連れて行ってくれた。もしかしたら、まだ開いている店があるかもしれないと期待したが、そこには、片付けをしている光景が広がり、夜店はもう終わったのだと、納得するしかなかった。

 今、自分はこれを思い出して、悔しく悲しい気持ちが呼び起こされるのではない。

 自分の目で確かめさせてもらって納得できて良かった思い出、というものでもない。

 これは、「見捨てられなかった思い出」だ。兄が自分の悲しみに寄り添ってくれ、納得できるまで一緒にいてくれた、自分にとって温かく大切な思い出として記憶されている。と…。

 


 曽祖母を思い出しました。

 駄々をこねて家族を呆れさせ、感情の収め方も分からずに泣いていた私の隣に来て、黙って背中をさすっていてくれたものです。

 癇癪を起こして暴れ回った挙句に、私が送り込まれた「お仕置き部屋」から救い出してくれたのはいつも祖父でした。腕に抱かれたまま、遠くに見える電波塔の赤いライトを一緒に数えるうちに、いつの間にか気持ちが和んだものでした。

 私の不注意から間違えて捨ててしまった小さなおもちゃの部品を探して、何度も一緒にゴミを漁ってくれたのは母でした。

 これらの思い出を、こんな名前で呼ぶことができたなんて…!  

 日常の中でふとした瞬間に現れる、私が「見捨てられなかった思い出」は、こうして名をもらい、分類され、心の中での立ち位置が定まりました。

 次は私が誰かにそんな思い出を与えてあげる番なのでしょう。

はじめに,日々のあれこれ

 子どもの頃の私は、北海道の大自然に包まれながら、家族の愛を一身に受け、好奇心の赴くままに、生きている事を全肯定されて育ちました。

 ひいき目に見ても、可愛らしいとは言えない見た目、さらに負けず嫌いで意地っ張りという、愛されるべき性格でもないのに、三姉妹の末っ子だというだけで、ほとんどの「負」を大目に見てもらいながら、「私は特別な子なんだ」と勘違いしたまま育ちました。

 社会人となり、故郷を離れて仕事をする中で、様々な本を読み、研究者の話を聞いて、そんな私をあらためて肯定してくれる言葉に出会いました。

 「感性は大自然の中で育まれる。」

 「肯定されて育った人間は強い。」

 私の中にある、優しく美しい思い出が、今の自分を作っている一片一片なのだと振り返ったとき、一緒にいてくれた家族や、周りにあった風景への愛しさが、どんどんと溢れて来るのを感じました。

 名もない一人の人間の心を育てた、ささやかな出来事だけれど、誰かに知ってもらいたい。でも、私の幼少期を知っている人に知られるのは恥ずかしい…。そんな葛藤の末に、エッセイという形で書き上げた20篇ほどを、ペンネームを使って自費出版したのは16年前です。

 無名な上に、知人のほとんどに内緒にしているのですから売れるはずもなく、誰に読んでもらうでもなく静かに埋れていく予定でした。

 とは言っても、日常生活を送る中でふと愛しい思い出が蘇ると、頭の中がそればかりになり、ついついエッセイにまとめようとする自分がいます。せっかく思い出したのに、そうしないとまた忘れてしまいそうだと。

 そうやって、誰かに知ってもらいたい出来事は、しんしんと降り積もっていたのでした。

 世の中は大きく変わり、個人が発信できる手段を、複数の中から選べるまでになりました。

 そんな便利なツールを利用して、願いだった「誰かに知ってもらいたい。」を、再び夢見ることができる今に感謝しています。